発達障害の子を殺害した母親 ~ゲシュタルト療法「変容の逆説的な理論」の視点から~

何といたましい事件でしょう・・・

昨日の朝日新聞によると、この母親は市の相談機関を利用したり支援団体の学習会に参加したりしていたそうです。保育園にも行っていた。いろいろな人がこの母親をサポートしようとしていたのでしょうに・・・支えきれなかった。やりきれない思いです。

新聞記事には、「明るい、前向きなお母さんになりたい」と言いつつ、そうなれない自分を責め、「障害を受け入れられない」「つらいと思う自分が嫌だ」と繰り返していたとあります。4歳なら、まだ診断されて間もないのでしょう。障害を受容して明るく前向きなお母さんになれるのは、ずっとずっと先のこと。今は「受け入れられない自分」「落ち込み、つらくてどうしようもない自分」こそが受容されなければならないのに・・・

この母親のつらさに寄り添い、受容的に関わった方々はいらっしゃるのでしょうけれど、誰が受容してくれようとも、自分自身が自分を受容できないかぎり、自己否定の底なし沼から抜け出すすべはありません。その苦しみの深さは、他人には想像もつかないものであったのでしょう。

昨年からゲシュタルト療法を勉強中の私ですが、そのもっとも基本的な考え方のひとつに「変容の逆説的な理論」があります。人は「こうなりたい」と思うとき、「そうではない自分」を感じていることになります。このようでありたいと強く思えば思うほど、そのようではない自分を強く否定することになるので、自分を深く傷つけ、自分をますます悪い方向へ追い込んでしまう。むしろ「今あるがままの自分」の声に耳を傾け、そんな自分を、ネガティブな部分も含め丸ごと「そのままでいい」と受け入れられると、人は変わるのです。

子どもの障害を受容している「明るく前向きなお母さん」にも、ネガティブな気持ちが押し寄せ押しつぶされそうだったときがあったに違いありません。想定外のことに衝撃を受け、理不尽さに怒りまくり、否認したり逃避したりしながらたくさんの時間をかけてそこにたどり着いたのでしょう。告知されたばかりで今はまだつらい人が、早くそこに行けるようにと励ますのは逆効果になります。そのときそのときに感じているどんな気持ちも否定しないで味わいつくすことが、そこから抜け出す(その気持ちにとらわれた状態から解放される)唯一の方法なのです。

先を急がず、ネガティブな感情にとことん寄り添える支援者でありたいとの思いを新たにした報道でした。

2011年1月31日