昨日初めて、エリンギを洗わないで野菜スープを作りました!
なんだか「洗わなくてもいか~」って思えたんです。

3つ前のコラムに、キノコは洗わないほうがおいしいと言われても「ムリ!」 という話を書きました。
「洗うと味や風味が落ちるから」「清潔に栽培されているから」と頭でわかっても、心は「口に入れるものを洗わないなんて、ありえない」と激しく抵抗するので、頭に勝ち目はないという私の個人的な体験談です。

私が「洗わないで口にするのは、なんとなくイヤ!」と感じるのは、私が「清潔」について親から聞いたりいろいろな場面で学習したりしてきた結果です。
ですからそれまでどんな環境でどんな情報に触れて生きてきたのかによって、反応は人それぞれ。わずかな汚れの可能性より「おいしい」に価値を置く人がいらっしゃるのも当たり前のことで、「どちらが正しいか」の議論は平行線になります。

でもね、心って見えないから無視されがちで、だからこそ「私の言い分を聞いて!」って抵抗するんですよね。清潔なものを食べて命をつないでこられたのはそのおかげなのですから、無視するのは理不尽というものです。

「ムリだよね」と、その気持ちを認めてあげると、張り合って争わなくてよくなるので、「清潔に栽培されている」「洗わないほうがおいしい」という情報を取り入れる余裕が生まれ、「頭と心の言い分の折り合いをつける作業」が進みやすくなります。

ほどほどの清潔は生命の維持に必要なものですが、邪魔なだけでいらない荷物もあるかもしれません。
たとえば「自分は能力がないから何をやってもうまくいくはずがない」といった思い込みは、力量以上のチャレンジをして傷つくことを避けるという方法であなたを守ってくれた大事な部分に違いありませんが、
とらわれすぎると「したいこと、やればできるかもしれないこと」にチャレンジして、「できる自分」に出会う機会を手に入れそこねることが繰り返される結果になりかねません。

手放してもいい荷物は、ひとまず降ろしみるのも悪くない。
「長いこと私を守ってくれてありがとう。あなたが、私が傷つかないように守ってくれたことは知ってるよ」と声をかけて、
「やってみたい自分」の言い分にも耳を傾けてみると、思いがけない世界が開けるかもしれません。

2013.11.11