雑草と、雑草でないもの ~無意識の心の反応って、おもしろい~

我が家の前に、小さな川があります。
岸には菜の花がいっぱい。スッと立つ白鷺、のどかに羽づくろいをする水鳥・・・
ジェットコースターのような気温の変化に戸惑った春でしたが、気づけば立夏を過ぎ、新緑の美しさに息をのむ季節になっていました。

そしてこの時期に、毎年とても困ることがあります。

ぐんぐん伸びる雑草を、どうしたものかと・・・

あなたにとって、菜の花は雑草ですか?
タンポポは?
タンポポはかわいいから抜かないけど、1mくらいに伸びてタンポポと似た花をつける草(きっと名前があるだろうに、それさえ知ってもらえない草!)は、雑草だから抜く?
雑草と雑草でないものを区別(差別?)して、どれかを「雑草」と決め、雑草だけを抜き捨てることに、すごく抵抗を感じるのです。
美しい園芸植物の生育を保証し、ガーデンとして全体の景色を整えるために、雑草はあってはいけないものという考え方を、私は受け入れ難く感じてしまう。

駐車場のタイルの隙間のわずかな土に根をおろして、すくすく育ったハルジオン。
「ど根性大根」はスターになったけど、我が家のハルジオンは雑草だから捨てられて当然なのか。
この雑草たちのど根性だって、すごい! と思うし、よく見るととっても美しい花なんです。
もし高山植物なら、きっと絵葉書にしてもらえるだろうに!

わかっています。「おかしい」とは思うのです。

植物を擬人化して、自分や自分のまわりの大切な人たちを重ね合わせているんです。
でもね、頭ではわかるんだけど、気持ちはどうにも納得しない。

試しにネットでハルジオンを検索してみました。
アップでとてもきれいに撮られた写真付きで、ていねいな解説が載っていて、感動した!
「雑草」という区別も差別もなく、美しいという形容詞も入っていて、思わず微笑んでいました。

子どもの頃、男の子がハルジオンを「ビンボー草、ビンボー草!」と言いながらなぎ倒していくのを見て、とても心が痛んだ記憶があります。
あの子にはきっと、そんなことでもして発散しなければならないような、何かつらい体験があったんだろうな・・・
今の私なら、そう思えます。

雑草を抜くことができない私も、きっとどこかで何か、関連する心の体験があるのでしょう。

(2010年5月9日)