その関わりは、発達障害を持つ子を傷つけ、追いつめる

先日、臨床育児・保育研究会主催の公開セミナーで佐々木正美先生のお話を伺い、たくさんの気づきとともに深い感慨に浸りました。

発達障害についてある程度の知識は持っているつもりでしたが、多くの障害児者と向き合ってこられたご経験から発せられる先生の言葉のひとつひとつが大変に重く、ハッとさせられることの連続でした。
集団に適応できるように「努力」を促す働きかけがどれほど不適切で、障害を持つ子を傷つけているか・・・ この障害を持つ人・子どもたちは、何ができて何ができないのか、そのことが分かっている人が今の社会には少なすぎます。もっともっと増やしていかなければと思います。

たとえば目が見えない人に「ここに書いてあるでしょう。どうしてちゃんと読まないの。もっと落ち着いてしっかり読みなさい」という人はいないでしょう。見て読むことができないのが分かっていれば、音声や点字で伝えるなどその人に伝わる方法を周囲の者が工夫するはずです。「五体不満足」の乙武さんが、野球もドッジボールボールも仲間と一緒に存分に楽しんだ話は有名です。先天性四肢障害というハンデがあっても、友達が「オトちゃんルール」を作って、一緒に楽しめるように工夫したのです。周囲が障害者のできること・できないことを理解し、できないことを補う工夫をすれば、障害があっても社会の中で幸せに生きていけます。
ところが発達障害は、何ができて何ができない障害なのか、とても見えにくいのです。脳機能に異常があって「できない」ことが、努力すればできることのように周囲の者には見えてしまう。こちらが障害に見合った工夫をしなければならないことに気づかず、ついつい相手をこちらに適応させようとして、無理な努力を求め、できないことを責め、苛立ちをぶつけて、障害を持つ人を傷つけてしまう。
さらにこの障害を持つ人は、「苦痛であった記憶を消すことができないし、今起きているように思い出す」という特性があるとのこと。周囲がこの障害を理解し、適切な関わり方を学ぶことがいかに重要なことなのか、あらためて身にしみる言葉でした。

周囲が工夫できることの例を、少しあげてみます。
鬼ごっこで、相手の動きを想像して即座に自分が反応することは困難(同時・総合的な判断がむずかしい脳機能の問題)だが、「みんなで走り回って楽しそう」ということは分かる。
ルールを覚えさせようと無理せず、でも「できないから」と仲間外れにせず、楽しい雰囲気の中に入れてあげる。
「早く」と言われると混乱する。ひとつずつ具体的に言ってやった方が適応できる。
「靴を脱いで」(それができたら)「靴を棚に置いて」(それができたら)「部屋に入って」
禁止は、ただ「ダメ」「やめなさい」と言われても、どうしたらよいか分からないが、「○○しなさい」は分かる。肯定的、具体的に、短い言葉(または絵や記号など)で伝える。
「水道の蛇口を最大に開いて遊び続ける」に対して「水遊びはダメ」ではなく、「水遊びをやめて、ブロックで電車をつくろう(その子が得意なことに誘う)」

ちょっと知っているだけで、関わりがずいぶんラクになりそうな感じがしませんか?

(2010年9月17日)