「イヤイヤ期」って言い方、変えませんか? ~大人目線のしつけ論から抜け出す「はじめの一歩」~

4月3日 朝日新聞の投書欄に「イヤイヤ期という呼び方を変えよう」という趣旨の私の投稿が掲載されました。これを機に先日取材を受け、昨日(4月21日)の朝刊にこのテーマの記事が出ました。

きっかけは3月25日の朝日新聞に載った「徘徊と呼ばないで」という記事でした。
認知症のご本人が体験を語る場が増え、外からは「徘徊(目的なくふらふら歩きまわる)」と見えても、
「自分は目的があって出かけ、道がわからず怖かった、家に帰らなければと意識していた」
だから、「徘徊していたんじゃない」と。

介助者サイドの印象で使われてきたこの言葉によって、この行動の正しい理解がさまたげられ、当事者の困り感に添った支援をむずかしくしているという説明に「そうだよね!」と思わず声を上げました。

イヤイヤ期も、同じ。大人には、何でも「イヤ、イヤ!」って逆らう「反抗」に見えるけれど、子どもの中で起こっていることは「自分で決める・自分でする(人の言いなりにはならない)」という心理的な自立の第一歩を踏み出したということ。

なのに大人が決めて、従わせようとするから、「イヤ!」って言うことになってしまう。

取材の際、私は「自分で決めたい子どもの気持ちを尊重したかかわり方」についてかなり具体的に話をして、記者の方は熱心にメモを取って行かれたのですが、昨日の記事には全く反映されず、他の専門家のアドバイスとして「大人が決めて、言うことを聞かせる方法」が記されていました。

「呼び方を変えることで、支援の方向性を変えよう」という私の提案の趣旨が伝わらない記事にがっかりすると同時に、このテーマの誤った固定観念の根深さを改めて思い知ったできごとでした。

専門家のアドバイスが、記事で訴えているテーマと真逆の内容であることに記者が気づいていないのです。ご自身も、イヤイヤ期を経験している子育て中のママなのに。

「イヤイヤ期」を、子どもの思いが伝わる表現にしたら、かかわる親の気持ちがずっとラクになると思う。

この素晴らしい発達の1ページに、もっと素敵な名前をつけたい!

ちなみに「徘徊」は、そうした当事者の思いを受け止めて他の表現に変える自治体も出はじめているとのこと。東京都国立市では、「迷ってもいい、安心できる心地よい歩き」という意味の造語「いいあるき」を使って啓発活動をしているそうです。

「心のひとり立ち」や「心のヨチヨチ歩き」といった言葉を私はよく使いますが、この時期を表す「名前」としてはちょっと長すぎるかな?

投書では、「例えば、『ジブンで期』なんてどうでしょう」と書きました。

このコラムを読んでくださった皆さんは、どんなアイデアをお持ちでしょうか?

ぜひ、聞かせてください。

2018.4.21