「エライ」「すごい!」は要注意 ~相談者の否定的な気持ちを否定しない~

子育て支援センターの職員の方々とお話ししていたときのことです。

「エライ」とか「すごい!」といった言葉は、場面にもよりますがあまりおススメではありません、と申し上げると「エッ!? よく言っちゃってます」と参加者から声が上がりました。

相談者を褒めること・認めることが、相談者の自己肯定感を高める働きかけとして重要なことは言うまでもなく、だから支援の場にそうした言葉が飛び交うことになるのでしょう。支援者が思わずこうした言葉を言いたくなるのは、どんな場面でしょうか?

子どもの頃、親や教師などから否定的なメッセージをたくさん投げつけられて育った方が、自分を「ダメな人間」と思い込むのは自然な成り行きです。そして「人に迷惑をかけている」「親になるべきではなかった(親でいる資格がない)」「存在する価値がない」といった思いが繰り返し湧きあがって苦しんでいらっしゃるかもしれません。そういう方がその苦しさに対処する方法には、二つの方向があります。

ひとつは、熱心に自分を傷つけ罰すること。リストカットはよく知られていますが、ドラッグや売春なども根っこは「無意識に自分を罰してしまう」行動のように見えます。ことさらに周囲の人が眉をひそめるような言動を繰り返して、わざと非難されるように振るまうこともあります。攻撃的な環境で育った方は、「ダメな自分は攻撃されるのが当然」といった固定観念に縛られていることが多く、慣れない受容的・肯定的な関係には不安を感じやすいのです。無意識に挑発的な振るまいで相手を怒らせ、攻撃されるように仕向けて、「ほらね、やっぱり」と馴染みのある感情に行き着くことで落ち着こうとします。

もうひとつは、並々ならぬ努力をし続けること。自然食志向であったり、アレルギー対策であったり、キャラ弁であったり、あるいは講演会や地域活動への積極的な参加や資格取得の勉強とか・・・一見ポジティブに見えますが、ていねいに気持ちに寄り添ってみると強烈な自己否定があって、それを否定したいがための努力だったことに気づくことも少なくありません。すごくネガティブだからこそ、必死でポジティブになろうとして無理をしているわけです。

支援者からすると、前者は「困った人」として頭を悩ませ、受容しがたいと感じるケース、後者はつい「エライ」「すごい」と言いたくなるケースではないでしょうか。

自信のないお母さんがネガティブな言葉を口にしたとき、「そんなことないですよ。Aさんは大変なのに、いつも明るく元気で本当にエライなと思います。そのうえいつか人の役に立つ仕事がしたいって介護の勉強もされていて、すごいじゃないですか」と言ったとしたら、どうでしょう・・・

「自信がないから、そういう言葉を言ってほしいのではないですか?」とご質問がありました。もちろん、その通りだと思います。それで一時的にはラクになるかもしれませんし、そうしてしのいでいるうちに子どもが成長して親も不安から卒業できるケースだってあると思います。トゲが刺さって痛い人に、痛み止めを塗ってあげるような感じでしょうか。浅いトゲならそうしているうちに自然に抜けるかもしれませんが、深く突き刺さったトゲはいつまでも自分を傷つけ、痛み止め(他者からの好評価)を求めて更なる努力に自分を追い込み続け、いつか限界を越えてしまうことにもなりかねません。

本当にポジティブなのか、無理してポジィティブに振るまっているのか、見分けるのは簡単なことではありません。だからこそ、励ます前に「まずは傾聴」なのだと思います。

傾聴とは、相手のどんな気持ちも否定しないで聴き続けること。ネガティブな気持ちが語られた時、「そんなことないですよ」「そんな風に考えないで」は相手の気持ちを否定する言葉です。また、ご本人が自分を認められていないときにむやみに褒めるのも、「自分を認められない気持ち」を無視する態度ということになります。

傾聴・・・本当に奥が深く、むずかしいなあ・・・と、自戒を込めて思います。
さあ、それに気づけた自分にOKを出して、今日もまた一歩、踏み出さなくちゃ!

2011年2月25日