イヤイヤ期のしつけを考える  その6  ~ときには体罰も必要?~

前のコラムで、「大人も、自分の欲求を通すために相手を叩くことがある。親も、子どもが思い通りにならないと、(思い通りにさせたい自分の欲求を通すために)わが子を叩くことがある。衝動を理性でコントロールするのは、脳機能が発達しているはずの大人でもなお、ものすごく難しい」と書きました。

この表現に、抵抗感や反発を感じた方がいらっしゃるかもしれません。

親はいつも衝動で子を叩いているわけではない。
いけないことを言葉で言い聞かせても聞かないとき、「『ダメはダメ』と毅然と叱る」ことは親の責任。
叩かれる痛みを知らない子は、人の痛みがわからないから人を叩く。

衝動的に叩くのはよくないが、子どものために、子どもが将来社会に出て困らないように、悪いことは悪いときちんとしつけるために、時には体罰も必要だ(言葉でわからないことは、体で覚えさせるしかない)

そんな風に考える人は少なくありません。

この考え方を受け入れるかどうか判断するために、検討しなければいけないことをあげてみます。
(なお、このコラムでは「叩く」という言葉に、「つねる」「蹴る」など他の体罰や「暴言(言葉による暴力)」「締め出し」「閉じ込め」などの心を痛めつける行為を含みます。)

  1. 言い聞かせても聞かないのは、言葉では「わからない」からなのか
  2. 体罰以外に「毅然と叱る」方法はないのか
  3. 叩かれる痛みを知っている人は、人を叩かないのか
  4. 人は(親は)、衝動に駆られることなく他者(子)を叩くことができるのか
  5. 子どもが将来適切な行動を選べる人になるために、体罰によるしつけは有効か

では、検討しましょう。

  1. については、このコラムで繰り返しお話ししてきました。
    子どもは、わきあがる欲求のままに即行動する脳を持って生まれてきます。
    欲求を抑える脳機能が働き始めるのが3歳過ぎ。脳機能が発達した大人でも、つい衝動買いをしたり、ついやりすぎて失敗したり、間食をやめたいのについ食べてしまったり・・・「わかっている」のに理性で欲求をおさえられないことはよくあります。
    まして幼い子どもが、親に教えられたり叱られたりして「~してはいけない」とか「~したほうがいい」とか頭でわかったとしても、何度ダメと言われても、やってみたい好奇心やできるようになりたい意欲があればやめられません。
  2. は、「自分がしゃがんで子どもに視線を合わせ、手を取って真剣に話す」といったやり方がよく言われる方法です。
    そのことは皆さんよくご存知ですが、「それでも聞かないから」「3回言ってもダメなときは」といった条件を付けて体罰を容認する方も多いと思います。1 で検討したように、真剣に叱られてもやめられないのが子どもです。本当に絶対ダメなことは、そうなる場面をなるべくつくらない対策(触れてはいけないものは見えないところに片づけるなど)をとり、それが無理なことは抱きかかえてやめさせます。
    泣いても暴れても黙って(叱ったり説得したりしないで、毅然と)抱え続ければ、やがてあきらめて力が抜けます。そのタイミングで「がまんできたね」とほめる(認める)のがコツ。

    このシリーズの その1 で書いたように、「ダメはダメ」と毅然と制限することは、本当に絶対ダメなことだけにする(できるだけ意欲を満足させてあげる工夫をして、ダメなことを最小限に減らす)ことも、成功の秘訣です。ダメなことが多いと反発が強くなりますし、ストレスから乱暴になったりするので、ますます対応が難しくなってしまいます。

  3. が大うそであることは言うまでもありません。傷害などの罪を犯した人の多くが親から暴力を受けた成育歴を持っています。スポーツ界でも、暴力的な指導を受けて選手になった人がコーチになると、同じように暴力的な指導をするケースはよくあります。
    「子どもを叩いてしまう」と悩まれて相談室にいらっしゃる方も、多くは親からの体罰経験者です。

4 について。体罰を肯定する人のお話を伺っていると、「子どもが思い通りにならないと反射的に怒りがわきあがり、叩きたくないのに叩いてしまう自分を責めている」と感じることが少なくありません。いろいろな理屈を頼りに「衝動ではない」と正当化する一方で、罪悪感や自己嫌悪にさいなまれ深く自分を傷つけ続ける・・・そんな人も多いように思います。

ご自身が子どもの頃「あなたが悪いから」「あなたのため」と言われて叩かれていた人なら、子どもらしい願いや欲求を力づくで封じられた怒りや悲しみを、無意識の底にいっぱいためているかもしれません。言うことを聞かないわが子と向き合ったとき、その感情が噴き出してしまうかもしれません。
自分を責める耐えがたい痛みを抱えている人が、「子どものため」「しつけ」という鎮痛剤を手ばなせなくなるのは、仕方のないことかもしれません。

子どもを叩いているとき実際に起こっていることは、衝動的な「八つ当たり」や「うまくできない自分への怒りの転嫁」です。

「どんな理由があっても、私は叩かれてはならなかった」「思いを否定され、とても悲しかった」と、ご自身の気持ちを認められるようになることが、暴力の連鎖を抜け出す第一歩になると思います。

5 については、2001年に生まれた子どもを追跡調査した研究結果が最近学会誌に発表されたという新聞記事をご紹介したいと思います。(2017年7月31日 日本経済新聞夕刊)

3歳半の時の体罰の有無が、5歳半になった子どもの行動に与える影響を分析したところ、体罰を受けた子は、受けなかった子に比べて「落ち着いて話を聞けない」「約束を守れない」「一つのことに集中できない」「がまんができない」「感情をうまく表せない」「集団で行動できない」などの問題行動のリスクが高かったこと、体罰が頻繁に行われるほどそのリスクが高くなることが明らかになったそうです。

調査対象になった子の親御さんは、約束を守れるように、がまんができるように、体罰をしてでもちゃんとしつけなければと必死だったはずです。
自分も子どもも傷つけながら一生懸命育ててきた、そんな努力が「逆効果」だとしたら、これほど悲しく、残念なことはありません。

どうぞ自分の心と体をいたわって、自分に優しい言葉をかけてください。

2018.9.6

 

イヤイヤ期のしつけを考える  その5  ~「ごめんなさい」は、言わせないほうがいい~

2~3歳までの子どもが複数いれば、おもちゃの取り合いは避けられません。
強引に奪い取ったり、時には相手を叩いたり押し倒したり、そんなことが絶え間なく起こります。
その時、親がしなければいけないことが二つあります。

その場の状況次第でどちらが先でも構いませんが、どちらが欠けても「しつけ」になりません。

  1. 「どうしてもそれがほしい」「ボクが使っているものを取っちゃダメ」「自分の世界を邪魔されるのは絶対にイヤ」といった気持ちはしっかりと受け止め、「ほしいのね」「取ったらダメだよね」「壊されるかと思ってびっくりしたね」などと共感を伝える。
  2. 「だからと言って、相手を叩いたり押し倒したりしてはいけない」と、人を傷つける行動だけを手を取り目を見て厳しく叱る。

ここでもう一つ、

3 相手に謝罪する が、必要だと考える方も多いと思います。

特に相手にケガをさせてしまったり、相手が自分より小さい子(弱者)で、大泣きになってしまったりしたときに、謝れる子に育てることはとても大切です。

「悪いことをしたら謝る」は、成長過程で子どもが必ず身につけなければならない社会のルールです。
教えるのは、もちろん大人の責任です。

なぜ、謝らなければいけないのでしょうか?

大人同士の争いで、謝られてもちっとも謝ってもらった気がしなくて、余計に腹が立った経験ってありませんか?

謝ることの本質は「自分の非を認めること」なので、表面的な言葉だけで「ごめん」と言われても、「本当に悪いと思っていない」「私がこんなに傷ついたことをちっとも分かっていない」と感じれば許す気にはなれません。

たとえば夫婦げんかをして、分かってもらえないいら立ちが高じて相手の大切なものを投げつけ、壊してしまったら・・・

「何すんだよ! 謝れ!!」と怒る夫に、素直に謝れるでしょうか?

確かに、相手の大事なものを壊したのは私が悪い。けど・・・私の気持ちを分かってくれないあなたも悪い(私にそうさせたのはあなた)・・・

コトの本質は、互いの「気持ち」の衝突なので、「気持ちを伝え、分かり合う作業」を伴わない「ごめんなさい」は、争いの解決に役立ちません。

これまでのコラムで繰り返し書いてきたように、子どもの脳機能は未発達で自己中心です。
自分にとって大事なものを死守するのが発達段階として自然な姿なのですから、子どもの中では「私の大事なものを取る相手が悪い」「私が欲しいものを渡さない相手が悪い」のです。

謝罪を強制すれば、子どもの心は「分かってもらえないくやしさ」でいっぱいになり、反発するばかりで「反省」や「後悔」の気持ちが起こる余地がなくなってしまいます。

大人が裁判官の立場に立って「あなたが悪い」と決め、「ごめんなさい」と言わせるのは適切ではありません。(夫婦げんかで怒っているとき、親に「あなたが悪い。謝るべき」と言われる感覚を想像してみてください。)

未熟な子どもの心の中に「悪かった」とか「しまった、しなければよかった」といった気持ちがわき起こるようにするには、どうしたらよいでしょうか?

《 相手を傷つける行為を「絶対してはいけない」と教えると同時に、そうならざるを得なかったやむにやまれぬ気持ちを認め、親が誠心誠意相手の子に謝る姿を見せる(お手本になる)こと 》

とても時間がかかります。
相手の親にどう思われるか、不安かもしれません。
それでも、これ以外の対応はないと私は思います。

大人も、自分の欲求を通すために相手を叩くことがあります。親でも、子どもが思い通りにならないと、(思い通りにさせたい自分の欲求を通すために、「しつけ」という名を借りて)わが子を叩くことがあります。

衝動を理性でコントロールするのは、脳機能が発達しているはずの大人でもなお、ものすごく難しいことなのです。

過ちを犯したとき、自分の非を認めて謝れることは本当に大事なしつけです。
だからこそ、とてもたくさんの手間と時間をかける《 覚悟 》が必要です。

昔から「急いては事を仕損じる(せいてはことをしそんじる)」と言われるように、幼児に形式的な謝罪をさせるのは、逆効果になることを忘れないようにしたいと思います。

2018.8.31

 

イヤイヤ期のしつけを考える  その4  ~おもちゃの貸し借り~

この時期の子どもの心は発達段階としてみんな自己中心なので、おもちゃの奪い合いは日常茶飯事。
これまでのコラムで繰り返し書いてきたように、わきあがる欲求をおさえる脳機能が働き始めるのが3歳過ぎです。それ以前の子の脳は欲求のままに即行動するように働くのですから、「貸して」「どうぞ」を求めるのは無茶というもの。
8か月の子に「ハイハイしてはダメ。立って歩きなさい」と言い聞かせ、「いくら言ってもできない」と悩むようなもので、親も子も傷つき、疲れ、攻撃的になりがちです。

とはいえ、日々繰り返されるこのトラブルに「親が何もしないわけにはいかない」のも現実ですね。
親がこの時期の子にしてほしいことを「言い聞かせて、させる」のは無理なので、対応策は「子どもの心に『貸してあげたい』という欲求がわきあがるようにする」しかありません。

離乳食の頃、子どもが自分の食べ物を親に食べさせようとすることがありませんでしたか?
はじめは親が子に食べさせる一方ですが、いつの間にか自分で食べようとするようになり、ある日、親が自分にしたように自分が親に食べさせてあげようとする姿が見られるようになります。

子どもの中には「大人のようにしたい」という熱くて強い欲求がありますから、親が自分にすることを自分がしたくなる(親の立場に自分を置いてみる)日がいずれ必ずやってきます。
してほしいことは、してあげればいいのです。たとえば・・・

遠くの物を取ろうとしてテーブルに上ってしまうわが子に、「これがほしいの? ハイ、どうぞ」と渡してあげたり

親が使っている鉛筆を子どもがほしがったら「今はママが使ってるんだけどな。しょうがない、貸してあげるよ。ママはあとで書く(または別ので書く)からいいよ」と言ってみたり

そんな体験をいっぱいするうちに、「してもらう」うれしさが「してあげたい」気持ちに火をつけます。
初めのうちは、どうでもいいものは貸してくれるけれど自分にとって大事なものは貸せません。
「自分だって使いたい」という葛藤に自分で折り合いをつけて「貸してあげる」ことができるまでには、とても時間がかかります。

わが子の「貸せない気持ち」を受け止めて、待ってあげてほしい。
それこそが、「相手の気持ちを考えて、やさしくする」お手本だから。

考えてみれば大人だって、大事なものは貸してあげられないことがあります。
「貸して」と言われたら、いつでも貸さなければならないわけでもありません。
きちんと“NO”が言えることは、社会生活を営む上でとても大事なスキルです。

子どものおもちゃは、大人の目にはささいなものだったり、「たくさんあるんだから、ひとつくらいいいじゃない」と思えたりするものでも、子どもにとってはものすごく大事なものなのです。ひとつでも欠けたら、自分の中の想像の世界が一気に崩壊してしまう感覚すら持っているかもしれません。

もちろん、だからと言って相手を押し倒したり、叩いたり噛んだりする行為は許されません。
「取られてイヤだったの? 今は〇〇が~を作っているんだものね」とか
「壊されるかと思って、びっくりしたね」とか、子どもの気持ちを認めて代弁したうえで、

「でも、小さい子を押さないで。転んだら痛いよ」とか
「どんなにイヤでも、叩くのは絶対ダメ!」とか、してはいけない行動だけを叱ります

落ち着いて話を聞ける状態なら、言葉で交渉する方法を知る機会にするのもよいと思います(相手の気持ちに配慮して、自分で交渉できるようになるのはまだまだ先のことですが、「予習」になります)。

「でも、△△ちゃんも使いたいんだって。ひとつ貸してあげられる?」とたずねたり,逆の立場なら

「それがとっても気になったのね。でも勝手に取ったらお兄ちゃんもイヤだよ。貸してって、お願いしてみようか」とか

どのパターンも基本は疑問形で、決めつけや命令形はNG。
親の願いと違っていても、あくまでも本人の気持ちを尊重します。

「ごめんね、今はまだ貸せないんだって。少し待ってくれる?」「ほかのでもいい?」などと、親が相手の子に伝えて、言葉で交渉する実例を見せます。

自分の気持ちを大切にしてもらう経験を積むことが、相手の気持ちを大切にできるようになるために一番重要なステップです。
相手の親の手前「そんなことは言えない」と思われるかもしれませんが、大多数の親はそうした対応を不適切とは受け止めません。

「親が自分にしてくれたように、自分も他の子にやさしくしてあげたい(大人のようにできたら、カッコいい)」「けど、今はこれが絶対必要」「絶対、邪魔されたくない」・・・

何度も何度もそんな葛藤をくりかえして、だんだん自分の気持ちを制御する力をつけ、自分の意思で貸してあげられる日がやってきます。

その時が来るまで待ってもらえたら、子どもは「してあげられる自分」への誇らしさや達成感といった「いい気分」を体験して、もっとしてあげたくなるので、自分の気持ちを大切にしつつも相手を思いやることができる優しい子に育ちます。

まだ貸せない気持ちでいっぱいの時に、親の意向に沿って貸してしまうことを繰り返せば、わかってもらえないくやしさや悲しみが積もって攻撃的になったり、いつも周囲の顔色をうかがって本当の自分の気持ちがわからなくなったりして、他者とよい関係を築くことが苦手な子になってしまうことがあります。

「人の痛みがわかる子に育てなければ」という親の願いが、裏目に出てしまっては残念です。

急がば回れ!!

2018.8.27 (別サイト「ブランシュシュ」で連載した記事を再掲しています)

イヤイヤ期のしつけを考える その3  ~時間になったら〇〇する~

ご飯の支度ができたら、テレビを消してテーブルにつく
出かけると言ったら遊びをやめて素直に出かけ、帰ると言ったら帰る
お風呂の時間になったらおもちゃを片づけ、さっさとお風呂に入る
寝る時間になったら、つべこべ言わずに寝る・・・

そうできたらいいのにね

言っても言っても聞かないから、イライラして、
最後には怒鳴ってしまう
そして・・・後悔する

イライラの中身を、じっくり感じてみてください。
どんな気持ちが詰まっているのかな・・・

  • 「ちゃんとできる親」になれないくやしさ
  • 健診で指導されたりネットで読んだりした「よい育児」をしなければと思うのに、子どもが応じないから私の努力はいつも報われない・・・
  • 無視される怒り
    言葉はわかるはずなのに、どうして聞かないの? バカにしてる? どうせ私はダメ親よ・・・
  • 「ちゃんと育たなかったらどうしよう」という不安
    健康を害したり、成長発達が遅れたりしたら、みんな私の責任・・・
  • 「失敗」する恐怖
    ちゃんとしつけないと将来友達とうまくいかなかったり、事件を起こしたりするかもしれない・・・

いろんな気持ちが押し寄せて、カーッとするのも
ちゃんとやらなければと一生懸命だからこそ、不安が不安を呼んでパニックになるのも
とても自然なことです。
どうぞ自分を責めないで、自分にやさしい言葉をかけてください。

「がんばりたいのに、うまくいかないことばかりで、つらいね」

「もっと遊びたいけど、時間だから終わりにする」といった「欲求をおさえる脳(前頭前野)」が働き始めるのは3歳過ぎと、前のコラムに書きました。

それ以前の子は、自分の欲求のままに行動するので、「~したい」という気持ちを邪魔されると怒ります。

親に逆らっているのではなく、脳の機能として当然なことなのですから、「言うことを聞かない悪い子」として叱るのは筋違いです。

「時間と言われても、やめられないよね」と、やめられない気持ちを認めてあげてから、「でも、もう帰らなくちゃ」と抵抗されても抱き上げ、泣いても帰る時間を守ってください。

「悪いね、気持ちはわかるけど無理なの。協力して」 という気持ちでいれば、自分を責めてつらくなることを避けられます。

では、3歳を過ぎたら「言うことを聞かせるしつけ」ができるかというと、これがまたやっかいで、なかなかうまくいきません。
「がまんする脳」の働きは3歳を過ぎるころから働きはじめ、たくさんの葛藤を経験しながら少しずつ力をつけていきます。

大人でも、やりたいことに夢中になって「寝食を忘れる」ことがあります。
私は今朝、テレビで取り上げていた話題に興味をひかれて、電車の時間が気にかかりながらつい最後まで聞いてしまって、遅刻寸前でした。
推理小説を読んでいて途中で止まらなくなり、夕食の準備が間に合わなくてピザを取ったこともあります。

やめられない、けどやめなくちゃ、けどもうちょっとだけ、もうダメ、でもやりたい・・・そんな、自分の心の中で展開されるバトルは一生続くのです。
「ギリギリの線でなんとかやりくりする術(すべ)」を身につければ、社会で生きていけます。

親子のバトルは疲れます。
子どもの心の中のバトルに目を向けてみましょう。
成長したい意欲に満ちあふれ、まだ経験が少ない子どもが、そうした心の中のバトルをうまくコントロールできないのはしごく当然のことです。

よちよち歩きしていた子がいつの間にか上手に歩くようになったように、子どもの気持ちを大切に受け止めてあげていれば「このままジコチューな人になってしまう」ことはありません。

「いずれ少しずつ上手になる」と信じて、待つ気持ちになれるとよいですね!
信じて、待ってもらえた子は、「自分を信じる力=自信」を手に入れ、自己肯定感が高い子、意欲的に挑戦する子になっていきます。

2018.7.31

イヤイヤ期のしつけを考える その2  ~「食事は座って食べる」を成功させる秘策~

「1~2歳の子が、食事中にすぐ立ち上がってしまう」というご相談も、とてもよく伺います。
対策を考える前に、ぜひ知っておいていただきたいことがあります。それは

「きちんと最後まで(親が食べてほしい量を食べ切るまで)、座って食べる」ことを、「しつけ」としてこの時期の子どもに求めるのは、脳機能の発達段階として不可能  ということです。

私たちは、わき上がる欲求を満たすために即行動する脳を持って生まれてきます。お腹がすけばあらん限りの力で泣き、守ってくれる親の姿が見えなくなれば必死で追いかけ、ほしいものは他者から奪ってでも手に入れる・・・

そのおかげで、何万年の進化の歴史の中、厳しい自然界を生き抜くことができたのです。

最近の脳科学の研究によると、状況を判断して欲求をおさえ、行動をコントロールする脳(前頭前野という部分)が働き始めるのは3歳ごろからだそうです。

ですからそれ以前の子は、食べている途中でも、食べること以上に興味をひかれる何かを見つければ即座にそれをしないではいられません。言い聞かせて、わからせて、座らせておくことはできないのです。

8か月の子に立って歩くように言い聞かせても、歩けないのと同じです。

というわけで今回のテーマ、「座って食べる」を成功させる秘策は、好奇心とやる気に満ちあふれた子どもにとって、食卓が他のどんなことよりうれしく楽しく、おもしろい場になるようにすることです。

チェックしましょう!

  1. 腹ペコで食卓についていますか?
  2. 親が口に運んであげるものとは別に、子どもが自由にできる食べ物が子どもの前に出ていますか?
  3. 何をどのように食べるか、食べないか、子どもの意思で選択できるようにしていますか?
  4. 座っていると手が届かないところにあるものに子どもが興味を示したとき・・・
    その「気持ち」を受けとめ、肯定的に反応していますか?
  5. 親も一緒に食べ、ワクワクする会話がありますか?
  6. ママ自身が、食事を楽しんでいますか?

いかがでしょうか・・・
なかなかむずかしいかもしれませんね。

②をさせると、服や部屋がよごれて後始末が大変かもしれません。
けど、せいぜい数か月で卒業します。

③をやっていると栄養のバランスが悪くなるし、量的に不足するのではないかと不安にもなると思います。
けど、人類の歴史の中でいつでもバランスよく十分な量の食糧を手に入れることができるようになったのはつい最近のこと。私たちはみんな、理想的ではない環境に適応する体の仕組みを持っています。

最大のポイントは、④と⑤です。

たとえば親のおかずをほしがったら、箸で口に運んであげましょう。
アルコールを除けば、この年齢であげてはいけないものはほとんどありません。味や硬さなどが受け入れられなければ、子どもが自分で吐き出しますから経験するのもいいと思います。

「むし歯菌がうつる」と気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、箸につくくらいの菌は日ごろのおしゃべりなどで飛び散るしぶきにも含まれています。

ガラスや瀬戸物も、持ちたがるなら持たせてみましょう。乱暴に扱うと割れることは、言っても理解できませんが、経験すれば慎重に扱うようになります。小さなケガも、大きなケガをしないために必要な経験です。

絶対に割られては困る大事な食器とか、タバコやお酒など絶対にダメなものなどは、「手が届かないところ」ではなく「見えないところ」に置きましょう。ダメなことを理解して我慢できる年齢(少なくとも3歳以上)になるまで、少々面倒でも前頭前野が発達している大人が我慢するしかありません。

テレビを見たい、おもちゃで遊びたいなど食事以外のことに関心が行くときは、あえてその話題で盛り上がりましょう。叱って制止しようとすると、かえって執着します。
どんなにそのおもちゃが素敵なのか、そのテレビ番組にどんなに惹かれるのか、とことん楽しく共感を伝えてください。

「~したい」という気持ちは、親に受け取ってもらえると手ばなせることも多いものです。

親との楽しい会話(気持ちのやり取り)が弾んで、おもちゃやテレビより食卓にいる方が楽しくなれば、もうしばらく座っていられます。

それでも「食卓」に飽きたら・・・
食べさせたい量を食べていなくても、快く「ごちそうさま」にしてください。

「快く」が何より大事。
嫌味を言ったり怒りのオーラが出てしまったりすると、ここまでの努力が台無しになります。
あなたはするべきことをちゃんとやったのですから、ダメな親ではありません。

食べ物の不足や偏りは、長く続かなければ発達に支障をきたすことも健康を害することもありません。
体が必要とするものは奪ってでも摂るのが生物の本能ですから、食卓が楽しければ(強制や叱責などで心理的に食べられない状況でなければ)、必要なものを食べない状態が長く続くことはありません。

「大丈夫!」と自分に言って、心はずむ食事場面をつくってください。

2018.7.21

 

 

イヤイヤ期のしつけを考える その1 ~ダメなことって、なんだろう~

「『ダメなものはダメ』と、毅然と叱りましょう」とよく言われます。

一見、明快な言葉です。基本的には正論だと思いますが、親がこの主張を真に受けて(?)そのようにしなければと思い、「ちゃんとしつけよう」と取り組み始めると・・・

数々の疑問や迷いが出てくることを多くの親御さんが経験しているのではないでしょうか?

まず、「ダメなもの」の中身がわかりません。

子どものどんな行動を毅然と叱ってやめさせなければならないのか、よくよく検討しないと子どもの成長発達に欠かせない重要な経験のチャンスを奪うことになるし、ダメなことが多いと叱る親も叱られる子もストレスがたまって、攻撃的になることも少なくありません。

なにより、せっかくの子育てが楽しくなくなってしまうのは、とても残念です。

車道に飛び出す、高い所でもみ合うなどは迷う余地なくダメですが、すべり台を下からのぼる、電気コードをコンセントにさしたがる・・・あたりになると人によって状況によって、判断が違いそうです。

興味を持ったことにチャレンジしたり、
自分の運動能力を試したり、
痛い目にあって危険を体得したり、
いろいろ実験して確かめたり、
失敗を繰り返しながら「できる自分」に出会って、自信のタネを手に入れたり・・・

「大人が『ダメ』と言いたくなること」の中には、「経験」「実感」「達成感」といった宝物を手に入れる材料がいっぱい混ざっています。
せっかくの「やる気の芽」を摘むことは、少ないほうがいいに決まっています。

自分で状況を見て判断する力をつけるには、トラブルを未然に防ぎすぎないほうがいいですし、電気コードは安全な扱い方を教えて親と一緒に何度も抜きさしをさせたほうが、むしろ危なくないかもしれません。

興味を持ったことを途中で「ダメ」と制止されると、「やりたい気持ち」「確かめたい気持ち」が残っているので繰り返ししつこくチャレンジします(その「やる気」に拍手! 将来が楽しみ!!)が、親がいるところで存分にさせてもらえるのなら隠れてする必要がないのでむしろ安全ですし、気がすむまでやりつくすと満足して、次のマイブームに移っていくことも多いものです。

大人にとって心配なことを「どうしたら、やめさせられるか」ではなく、「どうしたら、させてあげられるか」を考えてみてください。

2018.7.20 (昨年「ブランシュシュ」に投稿した記事を再掲)

子どものためのママ友はいらない ~「よい親よりも大切なこと」という本のご紹介~

孫育てに奮闘中の仕事仲間から、こんな話を聞きました。

娘が、「私は、もうママ友をつくろうと思わないことにした」と言うんです。
親としては少し心配だけれど、それでいいのかなとも思う。

すばらしい!
友達は、いつから「つくる」ものになってしまったのでしょう。
本来は、気の合う人に偶然出会ったときに自然発生的に「できる」ものなのに・・・

そんなことを思いながら、以前読んだ素敵な本を思い出しました。

「よい親よりも大切なこと」 小竹めぐみ 小笠原舞 著 新潮社

子どものために“しなくていいこと”こんなにあった! というキャッチフレーズにひかれて、思わず手に取りました。

生活リズムに縛られない
子どもを100%愛そうとしなくていい

などなど、目次を読んでいるだけでホッとする話が満載
「子どものためのママ友はいらない」も、その項目の一つです。

豊富な保育の実体験と、数多くの親御さんの本音に耳を傾けてきた著者の言葉だけに、とても説得力があります。

大好きな1冊です。

2018.5.10

「言うことを聞かせる」しつけは、いらない ~イヤイヤ期の記事が招いた誤解を解くために~

前のコラムに書いた新聞記事がヤフーニュースに載ったために、多くの親御さんに不快な思いをさせてしまったようです。書き込まれた多数のコメントを読んで、胸が詰まりました。

記事は、取材されたときに私が伝えたことと真逆の印象を与える内容になっていて、記者さんには「こういうことを言うから親が追い詰められてしまう」と、記事を読んだ日にメールしました。

私が話したことは一つも記事にならず、話さなかったことが書かれています。

たとえば記事には、私が子どもを叱る親に対して「胸を痛めていた」とありますが、そうではなくて、子どもを理不尽に叱ってしまう自分を責めてつらくなっている親御さんにラクになってほしいとの思いを繰り返し話したのです。

私の名前を出すのなら、事前に内容をチェックさせてほしかった。

 

改めて、私が伝えたかったことを整理して書きます。

認知症の方の「徘徊」と言われる行動は、ご本人の中では目的を持った外出なので「説得して止めるより、安心して歩ける環境を作る」のが本来の支援。

徘徊という呼び方を変えることは、そうした支援の方向を変えるきっかけになる

「頭ごなしにダメと言わず、こんな言い方で説得しましょう」というアドバイスは、家族を追い詰めるだけです。
穏やかに説明しても、いくら言っても説得に応じないからイライラして、怒鳴ってしまう。
相手を傷つけてしまう自分を責める痛みに耐えかねて、虐待に至ってしまうこともある。

イヤイヤ期も、子どもにとっては「自分で決めたい・自分でしたい」という意思表示なので、「大人が決めて、言うことを聞かせるより、子どもがしたいと思ったことをさせてあげられる環境を作る」ほうがいい。

「イヤイヤ期という呼び方を変えたら」という提案は、記事にある「前向きにとらえる」ためではなく、
そうした支援の方向性を変えるきっかけになるのではないかということです

「どうやってやめさせるか」ではなく、「どうしたら、したいことをさせてあげられるか」を考えてほしい。

私が繰り返し話したり、書いたりしてきたことです。

「頭ごなしにダメと言わず、こんな方法で言うことを聞かせましょう」というアドバイスは、親を追い詰めるだけです。
いくら言っても聞かないから、イライラして、怒鳴ってしまう。
相手を傷つけてしまう自分を責める痛みに耐えかねて、虐待に至ってしまうこともある。

認知症の方が車を運転して事故を起こすのを防ぐためにキーを隠す選択があるように

子どもが触ってはいけないものは見えないところにしまう。

認知症の方の気持ちを尊重しつつ、ご本人の安全を守るために状況によっては鍵をかけて室内に閉じ込めなければならないことがあるように、

子どもの「自分で決めたい、何でもやってみたい」という気持ちを尊重しつつ、本人の安全や相手にケガをさせないために抱え込んで止めなければならないこともある。

もっと遊びたい気持ちに共感を伝えたうえで、泣いてもめげずに抱き上げて帰ることも大事。

大切なことを教えたのだから、大泣きされても「予防接種と同じ」と思って自分を責めない。

しつけは、自分で自分の気持ちを律する力をつけるためにするものです。
とてもたくさんの体験を積む時間が必要です。
今この場で「言うことを聞く子に育てなければ」と思わなくていい。

どうか、言うことを聞かせられない自分を責めることに大事なエネルギーを消耗しないでください。

18.4.24

「イヤイヤ期」って言い方、変えませんか? ~大人目線のしつけ論から抜け出す「はじめの一歩」~

4月3日 朝日新聞の投書欄に「イヤイヤ期という呼び方を変えよう」という趣旨の私の投稿が掲載されました。これを機に先日取材を受け、昨日(4月21日)の朝刊にこのテーマの記事が出ました。

きっかけは3月25日の朝日新聞に載った「徘徊と呼ばないで」という記事でした。
認知症のご本人が体験を語る場が増え、外からは「徘徊(目的なくふらふら歩きまわる)」と見えても、
「自分は目的があって出かけ、道がわからず怖かった、家に帰らなければと意識していた」
だから、「徘徊していたんじゃない」と。

介助者サイドの印象で使われてきたこの言葉によって、この行動の正しい理解がさまたげられ、当事者の困り感に添った支援をむずかしくしているという説明に「そうだよね!」と思わず声を上げました。

イヤイヤ期も、同じ。大人には、何でも「イヤ、イヤ!」って逆らう「反抗」に見えるけれど、子どもの中で起こっていることは「自分で決める・自分でする(人の言いなりにはならない)」という心理的な自立の第一歩を踏み出したということ。

なのに大人が決めて、従わせようとするから、「イヤ!」って言うことになってしまう。

取材の際、私は「自分で決めたい子どもの気持ちを尊重したかかわり方」についてかなり具体的に話をして、記者の方は熱心にメモを取って行かれたのですが、昨日の記事には全く反映されず、他の専門家のアドバイスとして「大人が決めて、言うことを聞かせる方法」が記されていました。

「呼び方を変えることで、支援の方向性を変えよう」という私の提案の趣旨が伝わらない記事にがっかりすると同時に、このテーマの誤った固定観念の根深さを改めて思い知ったできごとでした。

専門家のアドバイスが、記事で訴えているテーマと真逆の内容であることに記者が気づいていないのです。ご自身も、イヤイヤ期を経験している子育て中のママなのに。

「イヤイヤ期」を、子どもの思いが伝わる表現にしたら、かかわる親の気持ちがずっとラクになると思う。

この素晴らしい発達の1ページに、もっと素敵な名前をつけたい!

ちなみに「徘徊」は、そうした当事者の思いを受け止めて他の表現に変える自治体も出はじめているとのこと。東京都国立市では、「迷ってもいい、安心できる心地よい歩き」という意味の造語「いいあるき」を使って啓発活動をしているそうです。

「心のひとり立ち」や「心のヨチヨチ歩き」といった言葉を私はよく使いますが、この時期を表す「名前」としてはちょっと長すぎるかな?

投書では、「例えば、『ジブンで期』なんてどうでしょう」と書きました。

このコラムを読んでくださった皆さんは、どんなアイデアをお持ちでしょうか?

ぜひ、聞かせてください。

2018.4.21

自己肯定感は自分で高める ~「自分を好きになる本」のご紹介~

「自分が好き!」から始めよう をコンセプトに、このサイトを立ち上げたのは8年前。

子どもの数が減ったことや家電製品の普及などで家事負担が減ったことで、親が「かかわり過ぎる」子育てがとても気になっていました。

過干渉は、「この子のために、よりよく」と一生懸命な親がついやってしまう失敗ですが、子どもが自分で考え、何度でもやってみて、自力で様々な能力をつかみ取っていく機会を奪いますし、「よりよく」を求めて励まされ続けることは「今あるがままの自分」が否定され続けることになるので、自信がない子になりがちです。

もちろん「かかわらな過ぎ」や、理不尽な叱責・拒絶が繰り返される「否定的・攻撃的なかかわり」が子どもの自己肯定感を低くすることは言うまでもありません。

最近は「毒母」という言葉がネット上を駆け巡り、「私はそういう親に育てられたので自己肯定感が低い」とおっしゃる方にしばしば出会うようになりました。

「自分は、そういう親になりたくない」
「わが子は、自己肯定感の高い子に育てたい」

そう思ったら、まずはご自身が、自分の自己肯定感を高めることにエネルギーを注いでください。

それさえできれば、子育ては自然に好ましい方向に向かいます。
それなしには、子どもの自己肯定感を高める育児はできません。

親がどうだったとしても、大人になった今のあなたは、自分の力で自分を育てることができるのです。

「自分を好きになる本」 パット・パルマー 径書房

私も、ことあるごとに何度も何度も読みかえしてきた、大切な一冊です。

2018.3.16