「さみしい夜にはペンを持て」古賀史健  ~そのままの自分を、好きになりたいと思ったら~

今回も本のご紹介です。

巻頭言に「ぼくは、ぼくのままのぼくを、好きになりたかった」とあります。

そして私の仕事は、そういう人と出会い、一緒にこのテーマに向き合うこと…

 

小児科で相談外来を担当することになって2年。

以前は乳幼児の子育て相談が中心でしたが、現在は思春期のお子さんとの出会いも増え、むずかしいと感じています。

彼ら彼女らの気持ちに寄り添うには、彼ら彼女らが今体験している現実をどれだけリアルに想像できるかがカギで、私に求められる最重要な課題です。

心理系の本や雑誌、ケースレポートなどを片っぱしから読んでいるうちに、ふと「箸休め」(雰囲気が違う軽い読みもの)がほしくなって、この本を手に取りました。

だいぶ前に書評を読んで購入したものの、本棚に入れてそのままになっていたのですが、「さみしい夜にはペンを持て」という意味不明というか、どこか謎めいたこの書名に惹かれました。

 

いや~あ、この本は本当にすごい!

うみのなか中学校に通う中学生が、ある日うみのなか市民公園で不思議な体験をする… そんな一見ファンタジーなお話だけど、すごく深い内容がすごくやさしく丁寧に語られていて… ぐんぐん引き込まれ、その日のうちに読み切ってしまいました。遅読の私には、ありえない経験でした。

著者インタビューによると、自分と他者との関係性で悩みながら少しずつ自我を確立していく時期である中学生を読み手に想定して書いたのだそうですが… もちろん、たくさんの中学生にぜひ読んでほしいと思ったし、この本があればカウンセラーなんかいらないんじゃないかと思ってしまった程ですが… でも、それだけじゃない!

「そのままの自分を、好きになりたい」と思っている(つまり今は、自分を好きになれないでいる)たくさんの大人にも、ぜひ読んでほしいと思いました。

私も、スーパービジョン(自分が行った相談過程をスーパーバイザーとともに振り返る自己研鑽)でかなり厳しいことを言われて、ちょっとへこんでいたタイミングでしたが、この本を読んで師匠に指摘されたことに納得がいきました。なんとか仕切り直すことができそうです。

2024.2.26

「ルポ 虐待サバイバー」を読んで、虐待環境を生き抜いて親になった方々との出会いを思う

子育て支援施設での相談や、クリニックの相談外来などで親御さんの様々なお話を伺っています。

「子どもとうまくかかわれない。どうしてもイライラしてしまう」とか、「人に優しくしてもらえるわが子を見て、思わず『ずるい!』と感じ、怒りがこみあげてしまった」とか、そういったお話を伺いながら、「もしかしたらご自身が子どものころ、自然に湧き上がる子どもらしい感情を受け止めてもらえなかったり、理不尽に否定されたりすることが多かった方なのかな」と感じることがあります。

「私の母は毒親でした」とか、「私は機能不全家族の中で育ちました」などと前置きして話し始める方もいらっしゃいます。

子どもの心の健全な成長には、自分が感じるままの気持ちに親からの共感や承認が得られたり、甘えたい気持ちが受容されて安心したり、そうした経験の積み重ねが欠かせません。そのような感情体験ができないまま大人になり、親になっても、心の中の「傷ついた子どもの私」が今も生き生きとそこにいて、「私はしてもらえなかったのに」と、わが子にやさしくしようとする今の自分の足を引っ張る… そういうことは本当によく起こるのです。

支援者はその構造に気づいていないと、相談者をさらに傷つけてしまうことがあります。そうなると相手は、自分が傷つくことを恐れて支援者を拒否する流れになって、せっかくのサポートシステムが機能しません。

「ルポ 虐待サバイバー」(植原亮太 集英社新書)
この本では、そんな状況がリアルに鋭く解説されています。

支援を提供する人はもちろん、不適切な助言に傷ついて「支援なんかいらない!」と思っている人にも、ぜひ読んでほしい本です。

2024.1.15

「タカシ 大丈夫な猫」 ~事故で2本の足を失った猫の成長記録に、子育ての極意がいっぱい~

タカシは2本足の猫。交通事故で右側の前後2本の足に重傷を負って、道端に横たわっているところをケイコさんに拾われました。
負傷した足を切断する大手術を乗り越えて、今ではケイコさんとその家族の深い愛に包まれ、見守られて、何事もなかったかのように街を走り回っています。

タカシは2本足で立ち上がることを覚え、歩けなくても走れば移動できることを発見し、家から庭に出る方法を編み出し、恋もした。彼女が軽々と木に登るのを見て、タカシはじっと木を見上げ、ついには2本の足で登ることに成功します。

私が一番スゴイと思ったのは、ケイコさんたちがタカシの力を信じて、余計な手助けをしないで見守り続けたこと。
家族はみんなタカシが大好きで、心から愛しているのだけれど、2本足で立てるように支えてあげるとか、外に出たそうにしたらドアを開けてあげるとか、彼女が去った木を呆然と見上げているタカシを抱き上げて木の枝に乗せてやるとか、そういうことを一切しないで、「タカシは、この課題をどう解決するんだろう」と気をもみながらも、ただただ見守るのです。

手出しをしないからこそ、タカシは先住の猫やご近所の猫がすることを見て、自分で考え、試し、チャレンジして、どんどんできることを増やしていく。
信じるって、なんて素敵なんだろう!
これって子育ての極意だよなぁ~
読み終えて、本当にすがすがしい気持ちになりました。

(苅谷夏子 岩波書店)

2023.4.17

不適切な保育、親ならやってもいいの?  ~親が、しつけのために罰を与えることを禁止する法律が施行されたことを知っていますか?~

保育施設での「不適切な保育」の報道が続いています。大多数の保育者は過酷な労働環境の中でも努力と工夫を重ねて「適切な保育」をしているのに、「被害を訴えられない幼い子を預けるのは怖い」と思って就業をあきらめてしまう保護者が増えるのではないかと心配です。

私は3人の子どもを保育園に預けて働いてきましたが、親も余裕がなくイライラして「不適切な養育」をしまうことはありました。それでも、保育士さんがわが子とかかわる様子や絶妙な言葉かけなど、「適切な保育」を見たり聞いたりすることでどれほど学ばせていただいたかわかりません。子どもと離れて仕事に没頭できる時間があることも、ストレス対策になっていたと思います。

保育士による虐待をテーマにした報道番組で、てい先生が対策の一つとして保育室にカメラを設置することを推奨していました。保育士を監視するためではなく、ドライブレコーダーのように何かあったときに、何があったのかを確認するために。
「なるほど」と思いました。
例えば危険な状況をとっさに回避するなど「正当な理由がある」場合も、それを証明できますし、何よりも経験が浅い保育士さんが、子どもに指示が通らないといったむずかしい場面で先輩はどのようにするのか、「適切な保育」を見て学ぶ最高の教材にもなると思うのです。
そして親も、それを見せていただくことができたらどんなにいいでしょう。

人手不足の最大の問題点は、先輩が経験を重ねて習得したスキルが仲間に共有される機会が失われてしまうことなのかもしれません。
親も同様に、適切な保育や養育ができる先輩の技を見る機会が減っています。

2020年、親による体罰を禁止する法律が施行されました。叩く・つねるなどの身体的な暴力だけでなく、子どもの心を傷つける言葉による脅しや、閉じ込める・閉め出す・放置するなど「罰を与える行為」のすべてが法律で禁止されているのです。保育士がしたら犯罪なのに、親ならしてもいいわけがありませんから、当然のことです。

ですが、多くの親から「じゃあ、言っても聞かない子にはどうしたらいいんですか? しつけはしなくていいんですか?」といった怒りにも似た戸惑いの声があがっています。
「しつけとは、罰を与えて大人の言うことを聞くようにさせること」という思い込みが、広く深くたくさんの人の間に浸透しているように思います。

それが大きな誤解だということは、世界中で行われている多くの研究によって証明されています。

体罰等の法的禁止のための科学的根拠(エビデンス)について : 子どもすこやかサポートネット (kodomosukoyaka.net)

そのことは、研究論文を読まなくても、保育者の「適切な保育」を見ればすぐにわかります。

自動車教習所で、危機に直面した時に事故を回避する適切な運転スキルを、ベテランが運転するドライブレコーダーの映像を見て学ぶように、親も、対応がむずかしい子育て場面でプロはどうするのか、「適切な対応」の実際を映像で見て学ぶ機会がたくさんあったらいいのにと思います。

2023.1.15

子どもには、失敗する権利がある。親にも、ね!

「人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく」

11月2日の朝日新聞「折々のことば」で紹介された那須耕介(法哲学者)の言葉です。このコラムを書くために切り抜きを読み返して、最後が「いる」ではなくて「いく」であることに気づきました。何度も何度も転びながら、だんだん上手に歩けるようになっていく… 赤ちゃんを見ていれば、だれでもわかることなのに、こんなにシンプルで、これほど大切なことを私たちはどうして忘れてしまうんでしょうね。

「歩けるというのは、上手な転び方をわきまえていること」「柔道でまずは受け身を習うように、感情を豊かで安定したものにするにも『感情の受け身』を習得することが大切」

これを読んで、私は43歳で大学の研究生になって初めてパソコンに触ったときのことを思い出しました。教授から、中年のおばさんにPCの使い方を教える役目を託された若い院生が最初に教えてくれたのが、まさにこのことでした。

「最初に、間違えたときの直し方を3つ教えます。これで戻れない時はボクを呼んでください。どんなに間違えても、めったなことで必要な情報が失われてしまうことはありません。ボクが取り戻せますから、怖がらずにとにかくどんどん触ってください」

それから何度もSOSを出しながらも少しずつPCに慣れ、半年ほどたつうちにはエクセルでの集計や統計ソフトを使ったデータ分析などができるようになったのですから驚きです(もちろん、使わなくなったらきれいさっぱり忘れてしまいましたが)。

最近はきょうだいの数が減り、親は子どもが失敗しないように言葉をかけたり手伝ったりすることができるようになりました。失敗を恐れて挑戦しない子や、失敗から立ち直るのがむずかしい子が増えている背景に、そうした「感情の受け身」を学ぶチャンスの減少があるように思います。

親は、わが子が失敗しないように教えたり手助けしたりするのではなくて、失敗してもやり直せることこそを教え、安心して失敗できるように見守り、求められたら支え、失敗しても動じることなく子ども自身が感情を立て直す作業に寄り添えばいい。

でも最近の子育てでは、それが案外難しいですね。
SNSの時代になり、周囲の目も厳しく、親御さんご自身が自分の意思で選んだ行動をすることが許されない過干渉の親子関係や、失敗すると責められる環境で育っていたりすると、どうしても子どもを失敗させるわけにはいかない…
だって子どもの失敗はイコール親としての自分の失敗と感じて(そう感じさせる「世間の目」があって)、反射的に責められることを恐れるから。

うまくできないことを責める「世間」が変わることも大事な視点だけれど、「今」がつらい人には間に合いません。
「親も子もたくさん失敗して、失敗から学んで成長すればいい。赤ちゃんが何度も尻もちをついたり、つんのめったりしながら上手に歩けるようになったみたいにね!」
そう言ってくれる支援者が、いっぱい、いっぱいいたらいい。ご近所さんでも、ママ友でも、だれだって気づいた人が支援者になれる。

困っている親子が、そういう支援者に出会えますように。

22.11.14

トラブらないように、困らないように、先回りの働きかけが多くなっていませんか?  ~失敗して、後悔して、再起するのも大事な経験~

私たちのNPOが運営する子育てひろばで、最近あった出来事です。

高さ1mもない木製のすべり台があるのですが、登り切った平らなスペースに1歳前と見られる子が座り込んでいました。その子にとっては、ただ高いところに座って周囲の様子を見ていることが心地よかったのかもしれません。

そこに2歳過ぎと思われる子がやってきて階段を登ろうとすると、お母さんが駆け寄って子どもを押さえ、「順番、順番! 小さい子がいるでしょ」と声をかけました。

いや、座っている子はすべる気がないのですから、「順番に」が成立する状況ではありません。

小さい子の親御さんも、登ってこようとする子に「ごめん、ごめん」と謝って、あわててわが子をどけようとします。これではどちらの子の気持ちも打ち砕かれて、残念な体験になってしまいます。

私は登るのを止めようとするママを止めて

「ちょっと見ていませんか? 小さい子がいることは彼にも見えているから、止めなくて大丈夫だと思いますよ」と声をかけました。

おもしろいことに、その子が小さい子の脇を通り抜けて上手にすべり降りると、それを見ていた小さい子ががぜんすべる気になって、ママに介助されながら嬉しそうにすべり降りたのです!

あたりにいたみんなが思わず拍手喝さい。
止めないで見守ったおかげで、どちらの子にもいい体験になりました。

少し前には、同じすべり台でこんなこともありました。

1歳後半くらいの子だったでしょうか。車のおもちゃを持って階段を登ろうとするのを、ママが「ダメ、ダメ。おもちゃを持っては上がれないよ」と言って車を取り上げようとするのですが、しっかり握りしめて離しません。その子は両手で手すりをつかまないと登れないようで、1段目に片足をのせたまま片手で手すりをつかみ、登りたいのに登れず困っている様子です。

私が「上に着くまで預かろうか?」と声をかけると、なんとなくこちらの意思が伝わったようで、車を預けてくれました。登りきったところで返してあげると、受け取った車をすべり台からすべらせ、スピードに乗って遠くまで走っていくのを満足げに見届けてから自分もすべり降りました。
(もちろん、車が走っていく先で誰かにぶつからないように配慮するのはスタッフの責任です。)

たえず子どものそばにいて、トラブルや事故を未然に防ごうとする親御さんの気持ちもわからないわけではないのですが、子どもが思いついたことを試して快感を覚えたり、失敗を重ねながら成功にたどりつく達成感を味わったりするチャンスを奪ってしまうのは本当にもったいないと思います。

子どもが困らないように先回りして対処する親心も、子どもは困る前に言われても受け入れられず、思いを邪魔される怒りで癇癪になってしまうことも多く、親もストレスを抱えることになりがちです。

一方、子ども自身が現に困っているときなら提案が受け入れられる可能性が高く、大人のサポートを得てやりとげる体験をする貴重な機会になります。

思うようにならないと物を投げる、親や他児にすぐに手が出る、といったお悩みを伺うこともよくありますが、子どもの「したい気持ち」が無視されることが多くてイライラがたまっていないか、チェックしてみる必要があるかもしれません。

新学期が近づくこの時期、「入園して困らないように」「学校で困らないように」「勉強が分からなくなって困らないように」と親御さんの前倒しの働きかけでお子さんが不安定になっているケースに度々出会います。

親の務めは「困らないようにしてあげる」ことではなくて、「思い通りにして困った事態になっても、後悔を糧に仕切り直し、誰かのサポートを得てやりとげる力をつけるチャンスを奪わない」ことなのではないでしょうか。

2022.1.13

誰でもやれるようなことはやれないで、誰もやらないことがやれる ~ニトリの会長さん、発達障害だからこその成功物語~

今日の朝刊(21.7.20朝日新聞)で、素敵な記事を読みました。

コマーシャルでよく聞くあのニトリの会長さんが「正真正銘の発達障害」で、だからこそ、人が考えつかないようなことが考えられるって。

先生の話は1分も聞けない、理解できない、漢字も書けないで、成績はいつもビリ。

でも、好きなことには集中できる。大きな壁にぶつかると苦しいけど、打ち破るたびに成長した。

自分が何が得意かは、いろんなことをやって、自分で見つける。人間一つくらいは何か「これ、いけそうだな」というのがあるはず。長所が見つかると、短所が隠れちゃう・・・

 

どの言葉もご本人の「いかにも」の実感だから、心地よくすぅ~っと受け取れました。

お子さんの障害の疑いで不安を抱えたり、診断を受けて落ち込んだり、そうした親御さんと日々出会う中で、「得意なことを大事にしてあげれば、明るい未来はある」というようなことをお話ししたことはたびたびありますが、幼児期の親御さんにはとうてい受け入れられないことだったかもしれません。

でも似鳥氏のような実例は、案外身の回りにいくらでもいらっしゃいます。

お子さんの苦手なことを心配して、「他の子」のようにできるようにさせようとすれば、「できない」という経験ばかり積ませることになってしまって、せっかくの長所が台無し… そんなことにならないように、親御さんの不安にていねいに向き合っていかなければと思います。

 

2021.7.20

コロナ禍の学校と子どもの心 ~黙食を「成長の機会」ととらえた小学生の言葉がすごい! ~

感染予防のための飛沫対策で、学校の給食は全員正面を向いて黙って食べる「黙食」。
小グループでわいわい「楽しく食べる」ことが勧められていた以前の給食風景を思うと、本当に「かわいそう」に思えたし、こんな状況が1年以上も続いて子どもたちの心は大丈夫かと不安に感じてもいました。ですが、そんな中でもしっかりと前を向き、成長している子どもたちの姿に触れ、勇気づけられました。

3月28日のNHK「おはよう日本」で、この1年を振り返る3年生の授業風景が紹介されました。
はじめに先生が出した話し合いのテーマは、「不満なこと」。
子どもたちの口から、コロナでいろんなことが制限された悔しさが次々にあふれ出します。

「そうだよね…」と、その思いを共有したあと、次に提示されたテーマが「成長したこと」。
素晴らしいことに、これもまた、次々に出てくるのです。
記憶が正確ではありませんが、

「できないからこそ、何ができるか、どうしたらできるか、一生懸命考えたから、いろんな知恵が出てきた」

そういった意見に続いて、一人の男の子が
「給食の時間、黙って食べている間にたくさん自分と会話した。それが成長につながったと思う」

というような発言をしたのです。

ハッとしました。
今ほど身近に多くの情報機器がなかった時代、私たちはボーっと自分と向き合い、自分と会話する時間がたくさんあった気がします。

現代の子どもたちには、そんな贅沢な時間があまりなかったのかもしれません。
周囲に友達や先生がいる安心感の中で、誰とも話さず、自分と向き合い、自分と会話する…

最近注目されているマインドフルネスに通じるものがあります。

こんなに制限があり、いやなことや不安なことがたくさんあった学校生活でも、口々に思いを語り合いながらこの1年を回想する子どもたちは、生き生きとしていました。

テレビを通してあなたたちに出会えて、うれしかった!
ありがとう!!

その成長を支えた先生方にも、心からの敬意を贈ります。
ありがとうございます。

2021.3.29

新聞広告「誰もが誰かのエッセンシャルワーカーだ。」に、心ときめいて ~自分の存在価値が認められることが、自己肯定感の『はじめの一歩』~

昨日(20.12.29)の朝刊の全面広告にあったこの言葉に、思わず目がとまりました。「誰もが誰かのエッセンシャルワーカーだ。」 なんて素敵な言葉でしょう!

「命を守る」ということは、ただ生きるためだけの暮らしをするということだろうか。今年、不要不急と呼ばれたものだって、生きる上では必要だった。好きなもの。楽しいと思える瞬間。心地いい暮らしをつくるもの。あたらしい場所。私たちは、そこではたらくすべての人を称えたい。すべての仕事が必要不可欠で、あなたの存在は、必ず誰かの支えになっていた。だから、

という少し大きい活字の文章に続けて 赤い字で ありがとう、

そこから先は小さな文字で 医療従事者のみなさん、看護師の皆さん、……と、ありとあらゆる仕事が続いて紙面全面を埋め尽くしています。

さらに最後の行がまた素敵。

お隣さん、お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、おじさん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、妹、弟、娘、息子、姪っ子、甥っ子、恋人、パートナー、あなた。

そして冒頭に書いた言葉 誰もが誰かのエッセンシャルワーカーだ。

お母さんもお父さんも、子ども達も、みんな頑張っているんですよね。
それが認めてもらえた感じがして、とてもうれしい!

コロナ自粛の中、虐待の相談が増えているという報道があります。
「ストレスで子どもに当たってしまう。ちゃんとできなくて、イライラする自分を許せない」といったお話は、こちらの相談室でもとてもよく伺います。

「よい親でありたい」と強く思えば思うほど、「そのようにできない私」を強く否定することになるので、親はどんどん追い詰められ、辛くなるから子どもに優しくできない悪循環・・・

激しく自分を責め、「こんな親は、いない方がいい」「消えてなくなりたい」とおっしゃる方と出会うこともあります。子どものころ、親御さんから否定的なメッセージをたくさん受け取った方かもしれません。

だけど、「いない方がいい人」なんて一人もいない。
あなたが生きていてくれることに、心から「ありがとう」

あなたが心を許せる友だちは、たぶん完璧な人ではありませんよね。
そこそこダメなところがあっても、あるからこそ、その人は安心して付き合うことができる  あなたのエッセンシャルワーカー。

だから、ダメなところがある自分も、ダメなところがいっぱいあっても、あるからこそ、だれかのエッセンシャルワーカーになれるんです。ちゃんと認めてあげてほしい。その気持ちが、きっと自己肯定感のみなもと。

2021年をよい年にすることができるのは、あなた自身です。

2020.1230

子育ては「うまくいかない」からこそ素晴らしい ~挑戦する子に育てるために、失敗から学ぶ親になろう~

「親」という仕事は、神様でも仏様でもない生身の人間(言うまでもなく不完全で、いっぱい間違いを犯す)が、本能的な生命力だけを持って生まれてきた赤子を「そこそこまっとうな判断ができる大人に育てあげる」という、とんでもなくむずかしいミッションです。
当然一人で抱えられるわけがなく、「受援力(他者に援助を求め、快くサポートを受け止める力)」が必須アイテム。私の領域で言えば、相談をしていただけることは「受援力のある方との出会い」ということになります。

他人に「相談をする」って、自分がうまくできていないことを話すわけだから結構エネルギーがいりますね。そこを踏み切る力(受援力)がある方と出会って、お話しを聴かせていただくうちに気づきが起こり、親御さんご自身の力で望む方向へ進み始める、そんな場に立ち会わせていただけるのは本当に幸せなことです。

失敗もあります。大事なサインを私が受け止めそこねたり、ちょっとしたニュアンスが相手にうまく伝わらなかったり、未熟ゆえの早とちりや勇み足の失敗も。

そんなとき、欠かせないのがスーパーヴィジョンです。
自分がした相談の過程をスーパーバイザー(カウンセリングの師匠)とともに振り返り、なぜそうなったのかチェックして、修正する「スーパーヴィジョン」を受けることが、私の支えとなっています。

失敗について、成功をおさめた方々の名言がたくさんあります。
有名なのはトーマス・エジソンの電球の発明物語。

電流が流れると安定して光る素材を求めて様々な物を試し、「失敗」を重ねた末の成功に対して「どうしてそんなに失敗しても続けられたのか」と問われて

「私は失敗などしていない。一万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ」
と答えたとか。

スポーツでも楽器でも、たくさん練習する人がうまくなる。
うまくいかないことを何度も何度もやって、考えて、コーチに相談して、修正ポイントを見つけてまた何度も試して・・・失敗から学んで、修正できる人が上達するんですよね。

だから子育ても、失敗してこそ修正するチャンスが生まれ、失敗するほど上達する。
一人でやるより、コーチがいた方がラク
そんなふうに思えたら、受援力が高くなるのでしょうね。

子育てに失敗はつきもの。もちろん私の子育ても、失敗と後悔の連続でした。
子育ては「失敗したら取り返しがつかない」と思っていらっしゃる方も多いのですが、そんなことはありません。
気づけば、いつからでも修正できます。
親が変われば、子どもは必ず応えてくれます。
大丈夫!

「失敗しても、修正して成長できる私っていいじゃん」と思える親なら、子どももきっと、失敗を恐れず挑戦する子に育つんじゃないのかな。

2020.7.21