非を認めて、謝ってほしい 

あるクライエントさんが、子どもの頃の悲しい出来事を話された後に、「非を認めて、謝ってほしい」とおっしゃいました。


カウンセラーとしては駆け出しの私は内心ハッとして、戸惑いを感じました。私自身が同じ気持ちを引きずっていて、処理に困っていることを知っていたからです。こういうときはスーパーヴィジョン。自分の問題を片づけないと、相手とうまく向き合えません。
私自身がその問題に直面した時、私はカウンセリングを受けて自分の気持ちを丁寧に振り返り、そのように感じる自分を見つめて、自分なりに「解決」したはずでした。「私にとっては、これでよかったのだ」と。ですが、やっぱり「相手に非がある」という事実(私はそう感じる)に変わりはなく、「非を認めてほしい。それがない限り、私の気持ちにケリがつかない」と思い続けている私がいます。それなら、その人ときちんと向き合って対決すればいい。話に行こうかと何度も思いましたが、行きませんでした。
私は、なぜそれをしないのか・・・いつでもできるのに

スーパーバイザーの答えは明快でした。
一番欲しいものは、すべてを失う覚悟がなければ手に入らないのかもしれません。これは、「覚悟」の気持ちです。常識のある大人は、手に入れられないものかもしれませんね。「失うもの」が多すぎるかな

ものすごくスッキリしました!
私は、手に入れなければいけないような気がしていたんだ。
「手に入れる努力をするべきなのに」と、どこかで思っていた・・・けど
私は、失うものと天秤にかけて、しないことを選んでいる
常識ある大人なら、それでいいんだ。

若い頃よく人と争って、「大人になりなさい」と言われました。そのたび「なれないんです」と答えたものです。大切なものを失ってでも、闘うべきだと思い込んでいたように思います。他者とかかわりあって生きていく限り、感情のぶつかり合いは避けて通れません。自分の中の激しい気持ちとどう折り合いをつけていくのか・・・とても大事な学習なのだと思います。大人になることは、きっと素敵なことなのですよね。

(2009年11月22日)