「言うことを聞かせる」しつけは、いらない ~イヤイヤ期の記事が招いた誤解を解くために~

前のコラムに書いた新聞記事がヤフーニュースに載ったために、多くの親御さんに不快な思いをさせてしまったようです。書き込まれた多数のコメントを読んで、胸が詰まりました。

記事は、取材されたときに私が伝えたことと真逆の印象を与える内容になっていて、記者さんには「こういうことを言うから親が追い詰められてしまう」と、記事を読んだ日にメールしました。

私が話したことは一つも記事にならず、話さなかったことが書かれています。

たとえば記事には、私が子どもを叱る親に対して「胸を痛めていた」とありますが、そうではなくて、子どもを理不尽に叱ってしまう自分を責めてつらくなっている親御さんにラクになってほしいとの思いを繰り返し話したのです。

私の名前を出すのなら、事前に内容をチェックさせてほしかった。

 

改めて、私が伝えたかったことを整理して書きます。

認知症の方の「徘徊」と言われる行動は、ご本人の中では目的を持った外出なので「説得して止めるより、安心して歩ける環境を作る」のが本来の支援。

徘徊という呼び方を変えることは、そうした支援の方向を変えるきっかけになる

「頭ごなしにダメと言わず、こんな言い方で説得しましょう」というアドバイスは、家族を追い詰めるだけです。
穏やかに説明しても、いくら言っても説得に応じないからイライラして、怒鳴ってしまう。
相手を傷つけてしまう自分を責める痛みに耐えかねて、虐待に至ってしまうこともある。

イヤイヤ期も、子どもにとっては「自分で決めたい・自分でしたい」という意思表示なので、「大人が決めて、言うことを聞かせるより、子どもがしたいと思ったことをさせてあげられる環境を作る」ほうがいい。

「イヤイヤ期という呼び方を変えたら」という提案は、記事にある「前向きにとらえる」ためではなく、
そうした支援の方向性を変えるきっかけになるのではないかということです

「どうやってやめさせるか」ではなく、「どうしたら、したいことをさせてあげられるか」を考えてほしい。

私が繰り返し話したり、書いたりしてきたことです。

「頭ごなしにダメと言わず、こんな方法で言うことを聞かせましょう」というアドバイスは、親を追い詰めるだけです。
いくら言っても聞かないから、イライラして、怒鳴ってしまう。
相手を傷つけてしまう自分を責める痛みに耐えかねて、虐待に至ってしまうこともある。

認知症の方が車を運転して事故を起こすのを防ぐためにキーを隠す選択があるように

子どもが触ってはいけないものは見えないところにしまう。

認知症の方の気持ちを尊重しつつ、ご本人の安全を守るために状況によっては鍵をかけて室内に閉じ込めなければならないことがあるように、

子どもの「自分で決めたい、何でもやってみたい」という気持ちを尊重しつつ、本人の安全や相手にケガをさせないために抱え込んで止めなければならないこともある。

もっと遊びたい気持ちに共感を伝えたうえで、泣いてもめげずに抱き上げて帰ることも大事。

大切なことを教えたのだから、大泣きされても「予防接種と同じ」と思って自分を責めない。

しつけは、自分で自分の気持ちを律する力をつけるためにするものです。
とてもたくさんの体験を積む時間が必要です。
今この場で「言うことを聞く子に育てなければ」と思わなくていい。

どうか、言うことを聞かせられない自分を責めることに大事なエネルギーを消耗しないでください。

18.4.24