「普通」ってなんだろう ~「他人(ひと)と違うのが普通」と語った視覚障害の青年~

NHKの「病院ラジオ」という番組で、視覚障害を持ちながら大学生になった青年の言葉が印象的でした。

大学は、自分の障害など霞んでしまうほどの「キャラが立った人」がたくさんいて、ヘンな人がいるのが「普通」の社会だったそうで、ヘンなのが普通だとしたら、「他人(ひと)と違う自分も普通なのか」と気が付いたと。

最近読んだ「どうして普通にできないの」という本(こだま ちの著 協同医書出版社)のテーマが重なりました。
~「かくれ」発達障害女子の見えない不安と孤独~  という副題の通り、周囲の人とうまく関われない違和感を抱えながら大人になった発達障害当事者の自伝です。

診断されないまま普通になることを求められ、普通にできない自分を責め、普通になろうと並々ならぬ努力をして疲れ果てたのちに、「昔一人でいたはずの、だだっ広いそれでいて一歩も動けない、色も音もない無限空間のような場所をいつの間にか出ていた」と気づくまでの物語は、「普通」にとらわれる「世間」のほうがよほどヘンであることを教えてくれます。

冒頭の視覚障害の青年は、病気の目を紫外線から保護するために、いつも帽子とサングラスを身につけなければなりませんでした。
小学生のころ、すれ違った見知らぬ子に「どうしてサングラスなんか掛けてるの?」と聞かれ、いやな気持で黙って通り過ぎたら、その子が駆け戻って自分の前に立ち、ツバを吐き掛けられたそうです。目に悪いことを分かっていながら、サングラスを掛けたくない、よく見えないのに携帯しているルーペを使いたくない、普通になりたい・・・ずっとそう思っていた。けど

人はみんな違う。違うのが普通なんだから、視覚障害者の自分は普通だったと、彼は言うのです。

発達障害にしても、左利きにしても、LGBTにしても、なににしたって「多数派と違う」ことは「普通」のことなのですよね。

2019.4.30