イヤイヤ期のしつけを考える  その6  ~ときには体罰も必要?~

前のコラムで、「大人も、自分の欲求を通すために相手を叩くことがある。親も、子どもが思い通りにならないと、(思い通りにさせたい自分の欲求を通すために)わが子を叩くことがある。衝動を理性でコントロールするのは、脳機能が発達しているはずの大人でもなお、ものすごく難しい」と書きました。

この表現に、抵抗感や反発を感じた方がいらっしゃるかもしれません。

親はいつも衝動で子を叩いているわけではない。
いけないことを言葉で言い聞かせても聞かないとき、「『ダメはダメ』と毅然と叱る」ことは親の責任。
叩かれる痛みを知らない子は、人の痛みがわからないから人を叩く。

衝動的に叩くのはよくないが、子どものために、子どもが将来社会に出て困らないように、悪いことは悪いときちんとしつけるために、時には体罰も必要だ(言葉でわからないことは、体で覚えさせるしかない)

そんな風に考える人は少なくありません。

この考え方を受け入れるかどうか判断するために、検討しなければいけないことをあげてみます。
(なお、このコラムでは「叩く」という言葉に、「つねる」「蹴る」など他の体罰や「暴言(言葉による暴力)」「締め出し」「閉じ込め」などの心を痛めつける行為を含みます。)

  1. 言い聞かせても聞かないのは、言葉では「わからない」からなのか
  2. 体罰以外に「毅然と叱る」方法はないのか
  3. 叩かれる痛みを知っている人は、人を叩かないのか
  4. 人は(親は)、衝動に駆られることなく他者(子)を叩くことができるのか
  5. 子どもが将来適切な行動を選べる人になるために、体罰によるしつけは有効か

では、検討しましょう。

  1. については、このコラムで繰り返しお話ししてきました。
    子どもは、わきあがる欲求のままに即行動する脳を持って生まれてきます。
    欲求を抑える脳機能が働き始めるのが3歳過ぎ。脳機能が発達した大人でも、つい衝動買いをしたり、ついやりすぎて失敗したり、間食をやめたいのについ食べてしまったり・・・「わかっている」のに理性で欲求をおさえられないことはよくあります。
    まして幼い子どもが、親に教えられたり叱られたりして「~してはいけない」とか「~したほうがいい」とか頭でわかったとしても、何度ダメと言われても、やってみたい好奇心やできるようになりたい意欲があればやめられません。
  2. は、「自分がしゃがんで子どもに視線を合わせ、手を取って真剣に話す」といったやり方がよく言われる方法です。
    そのことは皆さんよくご存知ですが、「それでも聞かないから」「3回言ってもダメなときは」といった条件を付けて体罰を容認する方も多いと思います。1 で検討したように、真剣に叱られてもやめられないのが子どもです。本当に絶対ダメなことは、そうなる場面をなるべくつくらない対策(触れてはいけないものは見えないところに片づけるなど)をとり、それが無理なことは抱きかかえてやめさせます。
    泣いても暴れても黙って(叱ったり説得したりしないで、毅然と)抱え続ければ、やがてあきらめて力が抜けます。そのタイミングで「がまんできたね」とほめる(認める)のがコツ。

    このシリーズの その1 で書いたように、「ダメはダメ」と毅然と制限することは、本当に絶対ダメなことだけにする(できるだけ意欲を満足させてあげる工夫をして、ダメなことを最小限に減らす)ことも、成功の秘訣です。ダメなことが多いと反発が強くなりますし、ストレスから乱暴になったりするので、ますます対応が難しくなってしまいます。

  3. が大うそであることは言うまでもありません。傷害などの罪を犯した人の多くが親から暴力を受けた成育歴を持っています。スポーツ界でも、暴力的な指導を受けて選手になった人がコーチになると、同じように暴力的な指導をするケースはよくあります。
    「子どもを叩いてしまう」と悩まれて相談室にいらっしゃる方も、多くは親からの体罰経験者です。

4 について。体罰を肯定する人のお話を伺っていると、「子どもが思い通りにならないと反射的に怒りがわきあがり、叩きたくないのに叩いてしまう自分を責めている」と感じることが少なくありません。いろいろな理屈を頼りに「衝動ではない」と正当化する一方で、罪悪感や自己嫌悪にさいなまれ深く自分を傷つけ続ける・・・そんな人も多いように思います。

ご自身が子どもの頃「あなたが悪いから」「あなたのため」と言われて叩かれていた人なら、子どもらしい願いや欲求を力づくで封じられた怒りや悲しみを、無意識の底にいっぱいためているかもしれません。言うことを聞かないわが子と向き合ったとき、その感情が噴き出してしまうかもしれません。
自分を責める耐えがたい痛みを抱えている人が、「子どものため」「しつけ」という鎮痛剤を手ばなせなくなるのは、仕方のないことかもしれません。

子どもを叩いているとき実際に起こっていることは、衝動的な「八つ当たり」や「うまくできない自分への怒りの転嫁」です。

「どんな理由があっても、私は叩かれてはならなかった」「思いを否定され、とても悲しかった」と、ご自身の気持ちを認められるようになることが、暴力の連鎖を抜け出す第一歩になると思います。

5 については、2001年に生まれた子どもを追跡調査した研究結果が最近学会誌に発表されたという新聞記事をご紹介したいと思います。(2017年7月31日 日本経済新聞夕刊)

3歳半の時の体罰の有無が、5歳半になった子どもの行動に与える影響を分析したところ、体罰を受けた子は、受けなかった子に比べて「落ち着いて話を聞けない」「約束を守れない」「一つのことに集中できない」「がまんができない」「感情をうまく表せない」「集団で行動できない」などの問題行動のリスクが高かったこと、体罰が頻繁に行われるほどそのリスクが高くなることが明らかになったそうです。

調査対象になった子の親御さんは、約束を守れるように、がまんができるように、体罰をしてでもちゃんとしつけなければと必死だったはずです。
自分も子どもも傷つけながら一生懸命育ててきた、そんな努力が「逆効果」だとしたら、これほど悲しく、残念なことはありません。

どうぞ自分の心と体をいたわって、自分に優しい言葉をかけてください。

2018.9.6