昨日報道された相模原市の児童相談所所長の言葉に、大きな失望を覚えました。
「体のあざや衰弱など生命に危険があれば、ちゅうちょせず保護した。(そうではなかったので保護しなかった)判断に間違いはなかったと考えている」
直接生命にかかわるような暴力や衰弱するほどのネグレクトがなければ「緊急性はない」と判断されてしまう現実・・・亡くなった中学生は、そういう社会の仕組みに絶望したのかもしれません。
以前聞いた話ですが、児童相談所から保育所に「連日の激しい泣き声で通報された家庭の子が通園しているので、あざなどがないか確認して」と連絡が来て、全身をくまなく見たが外傷はないことを報告、「虐待非該当」という結論になったとのこと。
通報を受けて職員が家庭を訪問する場合も、子どもに外傷や衰弱がなければ「虐待はない」と報告されることが多いようです。
拙著「育児相談練習帳」にも書きましたが、この認識は大きな間違いです。
子どもの心に「自分は愛される価値がない」「自分が存在すること自体が悪(私は生きているべきでない)」と刷り込むような暴言や無視、兄弟間の差別的な扱いなどは明らかに虐待であり、自他の生命にかかわる行動につながりやすく、身体的な虐待以上に手厚い支援が必要です。
心理的虐待も「命に関わる重大な暴力」という認識を、社会が共有するべきです。
児童相談所が膨大なケースを抱えて、即生命にかかわる恐れが小さいものまで対応しきれない実情があることは理解しています。
施設はどこも満杯で、心配な子をみな保護する余裕がないことも、優先されるべきは親子関係の改善による解決であり、強制的に保護することで親との関係が悪くなることを恐れる職員の気持ちも理解できます。
それでもなお、「間違いはなかった(しかたなかった)」という結論で終わりにしてはならないと思う。
どうしたら救えたのか、今後同じことが起きないために何をすればいいのか、一生懸命考えてほしい。
私たちはこの後悔から何を学び、「よりよい社会」を築くために亡くなった子の叫びをどう活かしていくのか、真剣に考え行動しなければならないと思うのです。
私にできることは小さなことですが、今言えるのは次の二つです。
1.つらい親やつらい子どもの話を、ただ一生懸命に聴くことができる人を一人でも多く育てること
2.家にいるのがつらい子に、逃げる力と逃げ込める場所があることを伝えること
「カリヨン子どもの家」をご存知ですか?
社会福祉法人カリヨン子どもセンター が運営する、子どものためのシェルター(緊急避難場所)です。
http://smileballoon.jp/knowledge/knowledge006.html
すべての人が安全安心に生活できる権利を保障されなければならないこと、そのためにこういう場所があることをすべての子どもたちに教えることが必要です。
伝え手となる大人がたくさんいれば、より多くの子どもがその情報を手に入れられます。
こういう場所にすべての子どもが自力で行けるくらい、全国にたくさんのシェルターができることを願っています。児童相談所の業務はすでにパンク状態です。行政には、新しい視点での対策を本気で探ってほしいと思います。
2016.3.23