「当事者」の気持ちはわからない けれど ~元被害児であったであろう虐待加害者を想う~

毎日のように続く児童虐待のニュース、そして8年目を迎える震災と原発事故を取り上げた番組…
当事者ではない私にできることは何か、私はどう生きるべきか、考える日々です。

今朝のNHKの番組「目撃!にっぽん」で、福島第一原発から30キロの土地に3年前開校したふたば未来高校演劇部の取り組みが紹介されました。

「訪問者では本当のことは分からない」と、今は南相馬市に在住する作家 柳美里さんが脚本と演出を手がけ、高校生たちと丁寧な対話を繰り返しながら「震災の記憶」を紡ぐ劇を作り上げていく過程を追う内容で、大変感慨深い番組でした。

部員の中で唯一被災していない生徒の葛藤に寄り添う柳美里さんの言葉が、強く印象に残りました。

「友達はみな、とてもつらい体験をしている。当事者ではない自分が、この劇で何かを語ってもいいのか」と問われて、「私は、あなたも当事者だと思っている。遠く離れているからこそ、誰よりも強く被災者の気持ちを分かりたいと思っているから」

私自身が、励まされる思いでした。
「その人の気持ちを分かりたい」と強く思う心… それなら、私も持っている。
その人の気持ちは、到底分からないのかもしれないけれど、「分かりたい」と思い続けること、
「分かろう」と努力し続けることなら私にもできる。

「子どもが殴られれば、自分は殴られずに済むと思った」という母親の言葉は、私には、見ているしかなかった自分を責める悲痛な叫びに聞こえました。
激しい暴行が止まらなかった父親は、もちろん許されるものではありません。
それでも、「彼もきっとやられていたのだろう。彼もまた、誰にも助けてもらえなかったのだろう」と思わないではいられません。

被害児を加害者にしないために、「分かろうとする人」がたくさんいる社会を目指して、私は、私ができることをする。それがすべて。

2019.3.10