すみれは、すみれ ~《比較》を考える~

前回、前々回のコラムで《比較》について書きました。
今回は、《比較》を考える第3弾です。

相談室では、他の親と比較してご自分にダメ出しを繰り返し、つらさのあまり自他を傷つけている方のお話を本当によく伺います。並々ならぬ努力を重ねているのに「他の人と比べれば、まだまだ足りない」と感じ、底なし沼にはまっているように思われる方も少なくありません。

かつて私自身がその底なし沼から抜け出すきっかけになった言葉が、今回のテーマ

すみれは、すみれ

社交的で、積極的で、活動的な、まさにひまわりのような友人がまぶしくて、「あんなふうになりたい。私はどうしてあの人のようにできないのか」と、いつも思っていました。

私は、濃い紫色の小さな花をつける日本すみれが好きです。

山路きて なにやらゆかし すみれぐさ

芭蕉の有名な句ですね。
険しい山道を歩いてきた旅人が、道端でひと休み・・・
そんなとき ふと足元の小さな花に目がとまる
すみれはきっと、とても幸せだと思う。

もちろん暑い夏の太陽のもと、元気と活力をくれるひまわりも素敵です。
どちらもそれぞれに素晴らしい。

SMAPの歌ではないけれど、ひとりひとり違うタネから生まれたのだから、ひとりひとり違うに決まっています。
すみれが、ひまわりのように咲きたいと思うことはないのだと気づきました。

おまけに育った環境もひとりひとり違うので、同じような状況(たとえば「子どもが言うことを聞かない」とか)でも、その状況の受け止め方や感じ方、反射的に起こる反応もひとりひとり違います。

感謝や承認のメッセージをたくさんもらって大人になった人もいるし、支配と服従の関係が渦巻く家庭の中で神経をとがらせ、支配者の意をくみ見捨てられないように努力してもなお叱られることが多かった人もいます。
他者(特に夫や子どもなど)とおおらかに接することは、厳しい環境で育った人にとってはとても難しい課題です。
おおらかな環境で育った人が難なくできるからと言って、厳しい環境で育った方が同じようにできない自分を責めるのは理不尽というものです。

どうぞ厳しい環境を生き抜いてきたご自分に、賞賛とたくさんの感謝や承認の言葉をかけてください。
自分を傷つける努力ではなく、自分が輝く努力を!!

2017.1.5