あきらめる勇気 その2 ~「言うことを聞かせたい私」の心の中は?~

「つまり、『あきらめる』ということですか?」
ある講座でしつけの話をしていた時、ご参加のお母さんから出た言葉です。

「言うことを聞かない子にいらだって怒鳴ったり叩いたり・・・寝顔を見ては後悔するけど、翌朝になれば同じことの繰り返し・・・どうしたら言うことを聞いてくれるんですか?」
「だって、一日中ダメなことばかりするんですよ。ダメなことはダメと、きちんとしつけることも大事じゃないですか」

そうですね。
幼児期は心が自立に向かう時期ですから、大人の意向(指示や命令)に徹底的に逆らうことで「自分で決めて、自分でしたい」という気持ちを表現します。
からだの準備が整うと、ハイハイしていた子が二本の足で立ち上がるのと同じように、2歳前後から心が自立していくのは自然な成長の姿です。自立してもらわないと困りますから、いつも「親の言うことを聞く子」に育てる必要はありません。

でも、世の中はいつも自分の思いどおりにはならないことを教えるのも大事なことですよね。
したくてもできないコトがある、したくてもしてはいけないトキがある
大人には、その境界線を教える義務があります。

親をはじめ身近な大人が、いわば牧場の柵になって「『したい』という気持ちが許される限界」を示し続ければ、子どもはその柵の内側(牧場)なら自由にしても大丈夫なことをおいおい理解していきます。
境界線が見えていないと、学校や職場など社会に出たときに痛い目にあったり、柵を越えて怖い思いをしたり、そんな経験をたくさんするハメになるかもしれません。
幼児は取りあえず「何でも反対」して、柵にぶち当たっては大泣きしながら少しずつ柵がある位置を確認していきます。

とても時間がかかります。手間もかかります。何年もかけて、いつかわかればいいので、「今ここで」言うことを聞く子にしなくてよいのです。
が、柵をやっている親はしんどいですね。
大人といえども生身の人間です。子どもがあらんかぎりの力で思いっきりぶち当たってくれば痛いし、動揺もする。傷つき、壊れることだってある。

解決のヒントが、二つあります。

一つ目は、親が示す柵に当たって子どもが猛反発したとき、親が自分を責めるのをやめること。

予防接種のとき、親は全力で抵抗する子どもを押さえつけて注射を受けさせます。
どんなに大泣きされても、泣かせた自分を「悪い親」と責めるような気持にはならないと思います。
子どもがいずれ社会に出て困らないように、親が「境界線」を教えることは「予防接種」のようなものです。そこに気づけば、「自分を責めてつらくなるから、ますます子どもに怒りがわく」という悪循環から抜け出せます。

「そんなにイヤなら」と、注射をやめて帰ったこともたぶんありませんよね。
罪悪感がないから「イヤでもすることはする。ダメなものはダメ」と、親もがんばれます。
親がゆるぎなく「ダメなものはダメ」の姿勢を貫くことができば、子どもも「親がダメと言ったらダメなんだ」と学習するので、だんだん自分で気持ちのコントロールができるようになります。

二つ目は、牧場を広くする(ダメなことを減らす)ことです。

子どもは自ら成長するエネルギーにあふれ、意欲と好奇心のおもむくままに探索し、実験し、チャレンジして、たくさんの経験から自分で判断する力や自信を身に着けます。
親が設定する柵はその範囲を制限するものですから、許される範囲が狭ければ子どもは意欲をそがれていらだち、ますます強く柵を押したり壊そうとしたりすることになります。

子どもがのびのびといろいろなことをやって、経験から学ぶチャンスがいっぱいある「広々した牧場」をつくれば、柵(親)にぶつかることも少なくなる(「ダメ!」と言うことが少ないほど親も子もラク)・・・
つまり、言うことを聞かせる(=子どもを、親の指示通りにさせようとする)ことをどれだけ「あきらめられるか」が、ほどよいしつけのカギなのです。

経験から学ぶということは、たくさん失敗して痛い思いや怖い思い、つらい思いもするということです。そうならないように未然に防ぎたいから、つい過干渉になるのは自然な親心・・・
なので、子どもを信じて「牧場(したいようにするのを見守る範囲)」を広くするのはすごく勇気がいることです。

とりわけご自身が育った牧場がとても狭かった方には、とてつもなくむずかしく感じられるかもしれません。
自分の心の声をじっくり聴いてみてください。
自分の意思を持つと、大人にこっぴどく打ち砕かれる・・・そんな体験を積みすぎた子は、自分の意思を封印して身を守るすべを身に着けるけれど、満たされなかった思いはいっぱいたまっていて・・・
自分が親になると、親が自分にしたように子どもを支配したくなる(言うことを聞かせたい強い衝動に駆られる)のもまた、自然なことです。

あなたは、子どもを自分が思うようにコントロールしようとする親に本当は「あきらめてほしかった」のではありませんか?

2017.3.3