妥協って、イケナイこと? 業務の「仕分け」のコツを三谷幸喜に学ぶ

三谷幸喜の「ラヂオの時間」をご存知ですか? 舞台上演は1993年、映画化が1997年ですからちょっと古い話ですが、当時は各賞を総なめにした話題作です。

(舞台は「ラジオ」、映画は「ラヂオ」と区別して表記されます。)前回の「日常業務の仕分け」について考えているうちに、この映画を思い出しました。

普通の主婦が初めて書いた脚本が採用されてラジオドラマになるのですが、主演女優のワガママから放送直前にシナリオの変更を迫られます。それならと共演の男優からも無茶な要求が出て、仕方なく大急ぎで脚本に手を加え、舞台は熱海からニューヨーク、さらにシカゴへと変わってしまいます。生放送でドラマが始まるのですが途中でつじつまが合わなくなり、CM中に急場しのぎの変更。それがまた新たな問題につながって、次から次へ変更を重ね、物語は初めの脚本とは正反対の結末へ向かっていきます。
これにはさすがの主婦作家も堪忍袋の緒が切れて・・・

あまりにもバカバカしく、終始爆笑なのですが、さまざまな登場人物のそれぞれの苦悩には共感を覚えました。主婦作家はもとより、番組ディレクターやプロデューサー、守衛さん(実は元効果音の達人)などすべての登場人物が、どうにもしようのない「事情」で妥協に次ぐ妥協を重ねながらも「ここだけは譲れない」というこだわりを主張するのです。ひとりひとり、最後の一線だけは一歩も譲らず死守する ― その雄姿は、間違いなく「感動モノ」です。

さて、日常業務の「仕分け」です。お給料をいただく仕事だけではありません。主婦業にしろ、ボランティアにしろ、もちろん子育てだって、何をするにも「妥協」や「目をつぶる」場面はたくさんあります。抵抗を感じながらも、やらざるを得ないと思ってやることや、やらなければと思いながらやらないでいることは、あまり気分がよくありませんが、すべての問題に真っ向勝負を挑んでいたら身がもちません。理想を追求し、完璧を目指し、結局心身を病んで担うべき役割を継続できなくなるより、妥協する自分を許しながら長く続けるほうが責任を果たすことにつながるし、長い目で見れば世のため他人のため自分のためです。
でも、「ここだけは譲れない」最後の一線は死守する。その決意さえあれば、プライドは維持できるのではないでしょうか。

(2009年12月4日)