「心を開く」ということ 樋口了一と障害者の出会いに触れて

12月23日、中野で樋口了一のミニライブがありました。

と言っても、会場はコンサートホールなどではなく、第5杉の子作業所という知的障害者のための仕事場です。障害を持つ利用者さんとその親御さんたちが作業用の丸椅子に座っての客席はアーティストと手の届く距離で、大いに盛り上がりました。

彼は「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」という歌を届ける「郵便配達人」を自称して、各地で「ポストマンライブ」という企画を展開しているシンガーソングライターです。この曲は、年老いた親から子供へのメッセージで、知る人ぞ知る名曲。今年の有線音楽優秀賞を受賞しました。

そのポストマンライブ。初めは全くお呼びがかからず、やっと届いた最初の依頼がこの作業所の所長である中田孝枝さんだったとのこと。(ちなみに、彼女は私の学生時代のサークル仲間です。)

記念すべき第1回目のライブは、こうして今年2月、この作業所からスタートしました。

その後全国50か所に「手紙」を届け、今年最後の締めくくりを「もう一度原点の杉の子で」との樋口さん側の意向で今回の企画が実現したそうです。

このあたりは事務局K氏のブログに詳しいいきさつが書かれていますが、その中に「心を開く」ことについて素敵な記述がありました。愛という漢字は、心と受けるという字からできている。愛とは心を受け取ること。そして、受け取るためには心が開いていなくちゃいけない。幼いころはみな「開いて」いて、親の愛を受け取っていたはずなのに・・・

それがいつしか

「閉めたり」

「少し開けたり」

「勝手に開いたり」

「ノックされるの待ってたり」

樋口了一さんは、杉の子での第1回のライブのあとK氏に「作業所の彼らは凄いんだよ。最初からオープンなんだよ。ずーっと心を開いてるんだよ。」と伝えたそうです。

よくわかります。今回私がお邪魔した51回目のライブでも、それは感じられました。ただ、それは樋口氏の音楽の力と、そして何より樋口氏自身の「心を開いて」彼らと向き合う姿勢がそうさせたので、「知的障害者だから」だと思うのは間違いだ、とも思います。

障害者の中には、健常者の無理解によって深い傷を負い、心を閉ざしている人が数多くいます。所長の中田さんは以前、そんな方々とまともに向き合ってくれるカウンセラーがいないと嘆いていました。

「こういう人でも、悩むんですか?」という言葉に愕然としたこともあったといいます。

子どものためには、プレイセラピーという手法が確立しています。言葉の代わりに遊びを使うカウンセリングです。障害をもった方々のためのセラピーは、どうなっているのでしょう。

私も、勉強不足です。

樋口了一『ポストマンライブ日記』

(2009年12月27日)